翌朝、子供は陽が高く昇るまでベッドに引きこもっていた。
社長やシュニンと顔を合わせるのが気まずくて、どうしたらいいかわからなかったのだ。
けれどついに空腹に負けてロッジを出た。
食事はいつもタークスの控え室かダイニングで出され、子供のロッジには口に出来るものは水以外何もなかったからだ。
子供は特に何をしろとも言われていなかったが、毎日社長のロッジに顔を出していた。皆が揃っているときは、一緒に食事を取る。その方が手間が省ける。
通いの家政婦が来る時間は決まっていたので、その間に食事するのが通例だ。
以前に比べたら、夢のような食生活だった。
エッジから運ばれる食料は超一流の料理人が作ったもので、親が生きていたときでさえ食べたことのない味だった。
そのほかにも、レノが買い置くジャンクフードやイリーナが買ってくる話題の菓子などが、何かしらタークスの控え室にはあった。

控え室に向かうと、イリーナにつかまった。
「どうしたのー? 遅かったね。どこか具合でも悪い?」
「いや、…寝坊しただけ」
ぶっきらぼうに顔を背けて言うと、
「でも丁度良かった。今日は社長もごゆっくりだったんで、これからブランチだよ。食べるでしょ?」

ええええええーーーーっっっ

心の悲鳴はイリーナには届かない。
あまりの計算違いに、子供は思わず回れ右して帰ろうかと思った。
しかし、そうできるはずもなく。

社長が『ごゆっくりだった』ってのは、どう考えても昨夜のアレのせいだよな。もしかしたらあの後もずっとやってたのかもしれないし。(事実その通りだったのだが)
その社長と差し向かいで飯を食うなんて、どんな顔したらいいかわからない。
 
「お、俺はここで食う!」
控え室を出て行こうとするイリーナの背中に叫んだ。
「どうして?」
イリーナは振り返り、
「一緒に出して貰った方が早いでしょ」
と反論のしようもない正論。
僅かではあっても、別々に食事を取るとなれば給仕してくれる人の手間は増える。社長やタークスに対しては遠慮する気も恩義を感じる必要もないと思うが、家政婦のおばちゃんの手を煩わすのは本意ではない。そのくらいには律儀な性格なのだった。
仕方なくうなだれたままダイニングへ向かう。
社長と目を合わせることだけは避けたかった。

社長はもう席に着いていて、書類片手にカフェオレを飲んでいた。
子供の方はちらりとも見ようとしない。
ここへ来てからずっとそうだった。
まるで、拾ってきたことなど忘れたように無視だ。
いつもと変わらぬ社長の様子に、子供はなぜか無性に胸の底がざわめいた。
子供の席はキッチンに一番近い端っこだ。間に合わせのような椅子を運び込んで、そのまま使っている。
このロッジには、長い間社長と4人のタークスしかいなかったのだと思わせる配置だった。
それでも全員が顔を揃えて食事することなどほとんど無い。
タークスたちは忙しく飛び回っていて、ロッジに残っているのは一人か二人。シュニンが残っていることが多いような気がしたが、実はそうでもなく今日もシュニンの姿はなかった。
社長と目を合わせないように、運ばれてきた食事を俯いたまま食べる。はっきり言って、味もよくわからなかった。
いい加減食べたところで、気づいてしまった。

社長がこっちを見ている。

絶対顔を上げない、という選択肢もあったが、なんだか負けるようで嫌だった。何が勝ち負けなのかはわからなかったが。
意を決して顔を上げる。
社長は―――

じっと子供の顔を見つめ、そしてうっすらと目を細めて笑った。

頬が熱くなる。

コイツはとっくに全部知ってたんだ。
自分が覗いていたことなんか、最初っからバレバレだった。
わかっていて、あんなことを―――
 
昨夜のことを思い出してしまうと、もうだめだった。
恥ずかしいのは自分ではなくコイツの方だろう、と思う。
確かに覗きは褒められたことじゃないかもしれないが、あの状況でドアを開けておく方がどうかしてる。覗いてくださいと言わんばかりだった。
いや、実際そうだったのかも。
なんといっても、こいつらがヤってたのは寝室じゃなくオフィスだ。
いくらそんな風に考えても、胸の動悸は激しくなるばかりだ。
反対に社長の方は平然としている。
恥ずかしくないのか、アンタは!
と心で怒鳴ってみても、なにかすでにそういう問題じゃないような気がする。
結局、目をそらしてしまったのは子供の方だ。
その後すぐ、ちらりと社長を見ると、もうすっかり興味を失ったかのように書類に目をやっていた。
ほっとすると同時にまた胸の奥がざわついて、子供は困惑した。


それ以降も、社長の態度もシュニンの態度も何一つ変わらなくて、拍子抜けするくらいだった。
それでも夜ごと、あのシーンを思い返しては自慰をした。いくら他の女を思い浮かべようとしても、出てくるのは社長の裸ばかりだった。
夜はあのロッジには近づかない、と決めていたので、二度とそんな場面に遭遇することはなかった。
もう一度見たいと思う一方、見るのが怖いとも思っていた。なにが怖いのかは、よくわからなかった。
 
社長とシュニンがそういう関係だというのは、別に秘密でもなんでもないのだと気づいた。
タークスたちはみんな知っている。
たぶん、ここに来る客たちのほとんども知ってるんじゃないだろうか。
まるで夫婦だ。
知らなかったのは自分だけだった。
男と女だったら、当然気づいたんだろう。というか、気づいたからってどうということもない。
『子供はまだいないのか?』と思う程度の話だ。
けれど、男同士というとだいぶ違う。
それが不道徳だとか気持ち悪いというような観念はなかったが、二人の関係はあの晩に見たような『セックスだけ』に限定されるものだと思えたからだ。
普段の二人は上司と部下、という態度を崩さない。社長がシュニンを誰よりも信用し、重要視しているのはわかるが、それだけだ。
シュニンが社長に対して過保護で過干渉なことについては、納得した。けれどそれだって、部下の立場を超えることはない。
だけど、
あの晩のシュニンは普段とは全然違ってた。
社長も―――
まるで甘えるようにシュニンにすがりついて、笑いかけた。
笑った顔が、息が止まるほど綺麗だった。
いつもの人形みたいな綺麗さじゃなく―――
 
社長が綺麗なのは事実だからいい。
誰もがそう言う。イリーナだって言うから、別にいいんだ。
けど、あの顔をもういっぺん見たいなんて思うのはだめだ。
アイツはみんなの仇だ。
俺の家族や、死んでいった仲間たちの。
いつかアイツに復讐するために俺はここへ来たんだってことを、忘れちゃいけない。
そんなことはみんな許してくれないだろう。
本当は、アイツが笑っているのさえ許せない。
とっくに死んだものと思っていた神羅社長が生きていると知ったとき、どんな気持ちだったか。決してそれを忘れちゃいけないんだ。
子供はそう何度も心で決意する。
でもどこか言い訳じみていると、自分でも分かっていた。

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