二つ目の理由が分かったのは、偶然だった。
いつかは分かることだったのだろうと思えば、偶然とは言えないのかもしれなかったが。

子供は相変わらず社長にはほとんど無視されていたけれど、他の連中にはそれなりの信用を得てきていた。
レノに車の運転を習って、一人でエッジまで買い出しに行くようにもなった。
逃げ出さないだろう、と思われているからこその信用だと思うと、なんだか奇妙な気がした。
家政婦のおばちゃんたちは気軽に子供に用を頼むし、護衛の兵たちも、子供がうろついていることをいつかあたりまえと思うようになっていた。
ヒーリンにはタークスの他にも護衛がいた。WROからの出向という話だったが、実体は元神羅ジュノン軍の精鋭部隊だという。こんな山の中で退屈じゃないのかと訊いたら、社長のお側を護るのは名誉なことなんだと胸を張られた。若い兵士たちが、社長に声をかけられて頬を赤らめているのも見た。
山にはモンスターを放し、十数人の兵士の護衛を置き、その上タークス。いったいどれだけ手厚く護られているのかと、むしろ呆れる。
そう言ったら、これでもメテオ以前に比べたら10分の1以下だとイリーナは笑った。
子供は、ミッドガルに住んでテレビで社長を見ていたときより、はるかに社長は雲の上の住人だったんだと実感したのだった。
 
それでもロッジで仕事をしているときの社長は、それほど偉そうじゃない。
電話の相手やタークスに対してはもちろんいつも命令口調だ。
でもレノなんか「へいへーい」なんて返事して、しょっちゅうシュニンに怒られてる。それでも社長はなんにも言わない。そういうのはどうでもいいらしい。
家政婦のおばちゃんたちには、逆に丁寧だ。お礼の言葉も欠かさない。
もっと横柄な人物を想像していたけれど、実際に見る社長は予想を裏切ることばかりだった。
いつも超然としていて、しゃべり方も動作も、なにもかもが優雅だ。
優雅、というのはこういうことを言うのだと初めて知った。
仕事をしていても、食事をしていても、立ち歩くときもいつも静かだ。
声を荒げたり、走ったりするのも見たことがない。
走らないのにはもう一つ理由があるのだとは、来てすぐ気づいた。
ちょっと目には分からないが、社長は軽く片足を引いている。たぶん脚に何か障害があるのだろう。
社長は脚が悪いのかとイリーナに訊いたら、
「ウェポンの攻撃に遭われたとき、怪我をされたの」
とだけ暗い顔で言ったので、それ以上訊くのをやめた。
社長は全然気にしてないみたいだけど、イリーナたちにとっては悔いの残る事情なんだろう、と想像がついたからだ。

ウェポンの攻撃で、神羅の社長は死んだのだとずっと信じてた。
街の噂も、ラジオやテレビの番組でもそう言ってたし、ミッドガルの廃墟を歩いていると、てっぺんがめちゃめちゃに壊れた神羅ビルがどこからでも見えた。
あそこにいたなら、死体が見つからなくても不思議じゃない。生きてたことの方がずっと不思議だ。もしかしたら、本当はあそこにはいなかったのかもしれないとも思ったが、足の怪我の話を聞くとそうでもないらしい。
あんな所にいて助かるなんて、運のいいヤツはどこまでもいいんだな、と思う。
メテオが来て怪我したヤツなんかいっぱいいた。
死んでもゴミみたいに廃墟のその辺に捨てられてた。
こんな風にみんなに護って貰って、世話をして貰って、それを当然と思って暮らしてるなんてやっぱり許せない。

ただ運がいいだけで―――

そう思う一方で、それは自分にも当てはまるように思えて、嫌な気持ちになった。
社長に拾われてここへ来たおかげで、なに不自由なく暮らせている。
十分なだけでなく、エッジ辺りではなかなか口に入らないような美味しい食べ物。快適な寝場所。
それだけじゃない。
ここへきて、いろいろなことを教わった。
ろくに学校へ行けなかった自分に、読み書きを初めとして世界の地理や情勢なんかも、誰かしら手の空いた者が教えてくれた。自分で勉強しろと、端末の使い方も習った。
『ここからアクセスできる情報は、世界で一番速くて多いんだぞ、と』とレノが言った通り、見たこともないようなエッジの詳細な地図とかあったし、普通は見られそうもないWROの内部組織表とかも覗けた。
そんなもの誰でも見られていいのか、と思ったけど、このロッジに入れること自体が特別なんだと思い当たると、なんだかまた胸の奥がざわついた。

社長に復讐できたら、こんなことは思わなくてすむ。
自分もきっと殺されるだろうけど、それでもいい。
社長が死んだら、イリーナは悲しむだろう。レノやルードや、護衛の兵士たちも。
もちろん、あのシュニンも。
そんな嘆きを彼らに与えておめおめと生き延びることはできない、と思う。
どうせゴミみたいな自分の命なんか、最初からどうでもいいんだ。
社長の命と自分の命を秤にかけるなんて、馬鹿げている。
秤の片方に乗っているのは、死んでいった家族や友人や名前も知らない多くの人たちの命だ。
それでやっと釣り合う。
 
そんなふうに何度も思い返していた子供だったが、実際には『復讐』という目標は、どこか遠い先に設定されているマボロシのようなものだった。
だがある日突然、それが現実のものとして子供の目の前に突きつけられることになったのだ。

本当にそれはたまたまだったのだろう。
たまたまタークスがイリーナ一人しかおらず、たまたま何かの事情で彼女が席を外し、たまたま使いの用を済ませた子供がそこへ帰ってきた。
そして―――
倒れている社長を発見したのだ。
デスクの足元にのぞいた社長の脚を見たときは、まさかまたとんでもないシーンを見せられるんじゃないかと、一瞬狼狽えた。
けれど部屋に社長以外の人間の気配が無いことくらい、次の瞬間には気づいていた。
思わず走り寄った自分の行動の目的がどこにあったのか、子供には分からない。
胸を押さえて床に踞った社長の姿を見たとき、真っ先に思い出したのは社長のデスクの一番上の引き出しに入っている銃のことだった。
社長がそこに銃を入れていること。とっさの場合に取り出せるよう鍵はかけていないことは知っていた。
自分でもよくわからない衝動に突き動かされるようにして引き出しを開けていた。

「やめておけ…」
掠れた声が足元から聞こえた。
かまわず銃を取り上げ、セイフティを外そうとすると、先ほどより強い語調で制止の声がかかった。
「やめておけ、と言っている」
社長の声は苦しげではあったけれど、子供の手を止めるくらいの力はあった。
「その銃は、登録されている者にしか使えん。暴発するぞ」
信じるのか?
と自分の中で声が上がったけれど、社長は嘘は言っていないのだろう、とも思った。
『神羅』のマークが入ったその銃は、確かにそんな仕掛けがしてあってもおかしくない。
「キッチンからナイフでも取ってきた方が確実だ」
ひどい顔色で息づかいも荒いのに、からかうような口調はいつもと変わらない。
一瞬迷う。
その間にイリーナが戻ってくれば、チャンスはない。
「かまわない!アンタを殺して俺も死ぬんだ!」
跪いて社長の身体に銃を押し当てる。たとえ暴発したとしても、この距離なら二人とも死ぬことになるだろうと考えたのだ。
けれど、銃を押し当てられた社長の身体は力なく床に倒れ伏した。
「…ルーファウス?」
いつも心の中で呼び捨てにしていた、その名が口から出た。
「おい! ルーファウス!」
いつの間にか銃を投げ捨てて、動かない身体を抱え上げていた。


慌ただしく行き交う医師たちをぼんやりと見ながら、子供は壁ぎわに佇んでいた。
社長のロッジからさほど離れていないこのロッジに、医師が常駐していることは知っていた。
以前ここは星痕症候群の人々が住む場所だったというから、その名残りなのだと漠然と考えていた。
中に入ったことがなかったから、どのくらいの規模のものなのかも知らなかった。中は思っていたよりずっと広くて人も多く、最新のものらしい機器もいろいろあった。
それがなんのためか、この様子を見れば明らかだった。

社長はどこか具合が悪いのだ。
だからこんな設備が必要で、シュニンは社長に対してあんなに過保護だったんだ。
今まで気づかなかったのが不思議だった。
気づかせないようにしていたのだろうが、なぜそこまで秘密にしていたのだろうかとも思う。
それは、自分に対してだけ考えると奇妙なことだったが、他の人々―――ロッジを訪れるWROの局長や、飛空挺団のシドや、クラウド達―――にも秘密にされているのだと気づいて納得した。
きっと隠しておきたい事情があるのだろう。

アイツに復讐する、最初で最後の機会を逃してしまったな―――と考えるでもなく考えていた。

ロッジに戻ってきたイリーナは、狼狽えることもなくてきぱきと社長をここへ搬送した。迅速な行動は、常にこの事態を想定していたのだろうと思わせた。
その時、彼女は床に転がった銃の意味に気づいたはずだ。
それを取りだしたのが社長ではないということにも。
だから、自分のしたことはもう分かってしまっている。
社長を殺そうとして、失敗したこと―――

それでも、口唇を引き結び、ひたむきな表情で奥の病室を見つめているイリーナの姿に、なんとなくこれでよかったんだと思っていた。

復讐なんて、できっこない。
心の奥ではとっくに分かっていたことだった。
いや、それが復讐と呼べるものですらないと、気づいたいてたんだ。
だって―――
メテオが落ちたのも、星痕症候群も、ルーファウスのやったことじゃない。
確かに神羅カンパニーが引き起こしたことではあったけれど、カンパニーのしたことが全部間違っていたわけでもない。
今この世界にある快適で便利なものは、全部カンパニーの技術でもたらされたものだ。
メテオの後もそれを維持しているのがどんな人たちなのか、ここへ来て初めて知った。
社長がそこでどんな役割をしているのかも。
世界は自分なんかの知らないルールで動いていたんだ。
社長を殺したって、大勢の人に迷惑がかかるだけでいいことなんかひとつもない。
喜ぶのは、自分みたいななにも知らない馬鹿か、どこかのマフィアくらいだ。
そんなことに意味がないことなんか、とうに分かってた。
ただ―――
『いつか復讐するんだ』という決意が、自分がこの場所にいることの言い訳だっただけだ。
そう自分に言い続けていなければ、ここには居られない。
カームの街で拾われたとき、社長は言った。
『もう一度チャンスをやろう』と。
そのチャンスは、使い果たしてしまった。
だからもうここにいる理由は無くなってしまったんだ。

いや、そんな悠長な話では無いのだろう。
社長を殺そうとしたことをシュニンが知れば、今度こそ自分を許そうとはしないに決まっている。前回のように、『テキトーにお仕置きして放り出す』ではすまない。
それだけのことを自分はしようとしたのだ。それも分かっていた。
けれど―――

今一番気がかりなのは、そんなことじゃない。

あのドアの向こうにいるルーファウスの容態だ。

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