ルーファウス 心の中でいつもそう呼んでいた。 自分は神羅の社員でもなんでもないから、社長と呼ぶのは違うと思った。 だから呼び捨てだ。 口に出すことは無かったけれど。 どのくらいの時間がたったんだろう。 気づくと、奥から出てきた医者がイリーナと話してる。 イリーナは何度もうなずき、最後に頭を下げると、子供が居る壁ぎわに戻ってきた。 「もう夕方だね、お腹空かない?」 子供は首を横に振る。 「社長は大丈夫だって。ロッジへ戻って、なにか食べよう」 きっぱりした言葉の響きに、子供は顔を上げる。イリーナが言っているのは、ただ食事のことだけではないと気づいたからだ。 医療施設を出るイリーナにの後に黙って従う。 外はもう、満天の星だった。 「どうしてなの?」 イリーナの作ってくれた軽食を二人で食べた後、やっと尋ねられた。 けれどその質問は、子供の思っていたのとは違っていた。社長を銃で撃とうとしたことを咎められるものと考えていたのだ。 「どうして…?」 質問の意味は分かっていたけれど、答え難くて今一度聞き返していた。 「どうして、撃たなかったの」 今度こそきっぱりした問いに、子供は俯いた。 「あの銃は、暴発するって…」 質問の意味をはぐらかすような答えになった。 「社長がそう言ったのね」 軽く笑う気配と共にイリーナは言った。 「社長らしいわ」 しばしの沈黙。 「君はね、試されたんだよ、分かる?」 思いも寄らぬ言葉にゆっくり顔を上げてイリーナを見る。 その表情は優しいお姉さんではなく、苛烈な任務をこなすタークスのものだった。 「本当は、引き金部分から毒針が出るの。引き金を引いたら、君は死んでた」 子供は目をしばたたく。 「今日のことは、私からは主任には報告しない。社長がどうおっしゃるかは分からないけれど。訊きたいことがあるなら、社長にお訊きなさい」 そう言うとイリーナは席を立って出て行った。 子供は呆然と座ったまま、イリーナの言葉の意味を考え続けていた。 「社長がお呼びだ」 額にくっきりとお怒りマークを貼り付けたシュニンが子供の前に現れたのは3日後だった。それまでシュニンの姿を見なかったのは、任務を切り上げて戻ってからずっと社長のそばにいたからだろう。 主任が怒っているのは、社長から銃の話を聞いたからだろうか。けれどこの人は本当に怒ったならば、自分など黙って撃ち殺しそうだとも思った。 だからこの怒りは、自分に向けられたものではないような気がする。 そんなことを思いながら、子供は黙ってシュニンの後に従った。 医療施設では、あの時社長が運び込まれた奥の部屋ではなく別の部屋に通された。 そこは大きな窓があって明るく、あまり病室という感じではなかったが、ベッドを取り囲む様々な機器類や、点滴の吊されたスタンドが、ここの主は間違いなく病人なのだと示していた。 社長はベッドの背を起こして、小さなテーブルに置かれたモニタを見ていた。 窓から差し込む陽射しに透けて、金色の髪が美しい。 「連れてまいりました」 相変わらずお怒りのこもった声は、いつもより数段低い。つまりこれは社長に向けられたものなのだ、と子供は気づく。 当の社長はといえば、二人が入ってきたことに当然気づいているであろうに、シュニンの声に初めて顔を上げ何も言わずに軽く顎を上げた。 一礼してシュニンが部屋を出て行く。 それを見送った社長はうっすらと笑みを浮かべている。彼がこの状況を楽しんでいるのは明らかだった。 一人取り残されたまま居心地の悪い思いをしている子供を無視して、社長は再びモニタに目をやり、キーボードを叩く。 流れるような指の動きまで優雅だ。 しばし時が過ぎ――― やりかけの作業が一段落したのか、社長はようやくモニタから子供に目を向けた。 「おまえの処置はなかなか的確だったと医者が言っていたぞ」 今にもクスクス笑い出しそうな声で言われて、子供はどうリアクションしていいか困惑する。 的確もなにも、銃を捨てた後はただ身体を抱きかかえていただけだ。 「あの銃を使おうとしなかったことには及第点をやろう。救急救命については、もっと詳しくイリーナに教われ」 いったい何の話か、と思う一方、イリーナの言った『社長は君を試したのよ』という言葉が思い浮かぶ。 さらに困惑を深める子供に、社長は口唇の端をつり上げて笑う。 これはいつか見た表情だ。と子供は思う。 そう、あの翌朝、自分を見ていた時の顔だ。 「おまえ―――」 ゆっくりと言葉を切りながら社長が問いかける。 「私が、好きか?」 あまりに予想外の言葉に、声が出なかった。 「私を抱いてみたいか? ツォンがしたように」 息が出来ない。頭に血が上って、くらくらした。 「まあ、私は男にとっていろいろと魅力的らしいからな。あの神羅の社長に突っ込んでみたいと思うヤツは意外に多い」 社長は笑って肩をすくめた。 あまりにあからさまな言葉にますます目眩がひどくなる。 だがあの時確かに自分もそう思ってはいなかったか。それを指摘されたような気がした。 「見ての通り、私はあまり健康とは言えない状態だ」 「病気……なのか?」 ようやく声を絞り出す。話が一番気がかりだった話題に及んだからだ。 「そうだな。もともと神羅の直系は短命だ。遺伝的な疾患をいくつも抱えている。血統と財産を護るために血族結婚を繰り返してきたせいだ。私の母は私を産んで間もなく死んだ。28だったと聞いている」 そんな話は初めて聞いた。 「その理由を聞くと笑えるぞ。神羅の祖先は、この星の外からやって来た種族だというおとぎ話だからな」 とてもおとぎ話とは思えない。 社長が特別なのはそのせいだと言われた方が納得がいく。古代種とか――― 「ジェノバ……みたいに?」 「まさにその通りだな。ジェノバも神羅も、この星にとっては異物ということだ。…まあ、その話は今はいい。とにかくそういうわけで、私はいつ死ぬか分からん」 「……」 そんなことを本人の口から聞くのは衝撃だ。 ずっと彼の死を望んでいたはずなのに。 「だから私が死んだとき、それを喜ぶ者を一人くらい置いておこうと思って、おまえを連れてきた。せっかく世界中から憎まれている神羅の社長が死ぬという時に、周囲の誰一人それを歓迎しないのではつまらんだろう」 そんなことが、自分をここへ連れてきた本当の理由なのか。 憤りだかやるせなさだか悔しさだか、よくわからないものがこみ上げてきて子供は俯いた。 「なにを泣いている」 呆れたような社長の声が降って来る。 否定したかったが、声が出なかった。口を開いたら嗚咽が漏れてしまいそうだ。 「こっちへ来い」 静かな社長の声が呼ぶ。 従う気もなかったのに、脚が動いていた。社長の声には、人を従わせる力があるみたいだ。これも魔法なんだろうか。 ベッドの近くに来ると、社長は手を伸ばして子供のシャツを掴んだ。そのまま引き寄せられて――― ―――キスされたのだ、と気づくまでにずいぶん時間がかかった。 思いの外柔らかくて暖かな口唇。 巧みに動く舌が、次第に奥へ入り込んでくる。 応えることも出来ずただなされるがままに呆然とそれを受け入れる子供の目から、また涙がこぼれ落ちた。 社長は笑って子供の頬を舐める。 間近で見る社長の瞳は、ただ青いだけでなく複雑な色を宿していた。 「知っているか? 悲しみの涙と嬉し涙は味が違うそうだぞ」 笑った顔が、いつかの時と同じように綺麗だ。 「なんで、こんなこと」 しゃくり上げながらようやく言う。 「おまえが泣くからだ」 「あんたを憎んでた…殺したいと思ってたのに」 「のに?」 社長は笑みを深くし、じっと子供を見つめる。 「…できないっ」 「出来ないのか、したくないのか、どちらだ?」 「そんなの…分からない」 「分からなくはないだろう。よく考えろ。おまえには時間がたっぷりある」 社長は子供を軽く押しやり、話はこれで終わりと言わんばかりに再びモニタに向かった。 「だが、出来れば早めに結論を出せ。私の方にはおまえほど時間はないからな」 ついでのように、立ち竦んでいる子供にそう付け加える。 そんな風に平然と、自分が死ぬ話をするなんてどうかしてる。 神羅の社長は自分のことばかり考えているようなヤツだと思ってたのに、ルーファウスは自分のことなんかどうでもいいみたいだ。 そうか。 だからシュニンやイリーナや他の人たちは、みんなであんなに一生懸命社長を護っているんだ。 ルーファウスが自分を大事にしないから――― 「死んじゃだめだ、ルーファウス。俺がどう思うかとか、そんなことどうでもいい。アンタは死んじゃだめだ」 「答えになっていないな」 社長はモニタを見つめたまま、それでも子供の言葉には返事をくれた。 「そうじゃない。俺、分かったんだ。アンタは世界に必要な人で、俺はそうじゃない。だから、俺はアンタを手伝いたい…出来るなら、アンタの役に立ちたい。俺は、アンタのいる世界で生きたい」 すがりついて懇願したかった。 でも手を伸ばすことも触れることも出来ず、子供は拳を握りしめたまま震える声で言った。 「回りくどいヤツだな。素直に愛していますとか言えないのか」 社長は視線をモニタから上げ、子供ではなくその背後をちらと見た。 わざとらしい咳払いがそこから響く。 子供はびっくりして飛び上がりそうになった。咳払いの主は、シュニンだ。いったいいつからいたのか。全然気づかなかった。 しかし続いた社長の言葉に、それどころではなくなった。 「ストレートにヤリたいとでも言えば、考えんことも無かったが」 「ごほん」 ともう一度、大きな咳払いが響く。 社長は笑って、子供に視線を移す。 「チャンスを無駄にしたな。ではその代わりに、おまえに名をやろう」 思いがけぬ申し出に目が丸くなる。 「社長!」 するどい制止の声が飛んだが、当の社長は気にするそぶりもない。 「今日からおまえの名はデニスだ。そう名のれ。今までの名を捨てる覚悟があるなら」 「社長! それは」 焦ったような声が後ろから聞こえたが、今度は子供もためらわなかった。 「アンタがくれるっていうなら、俺はなんでも受け取る」 「親から貰った名が惜しくはないか?」 「俺の親は死んだ。思い出の中にしかいない。親がくれたものも思い出に仕舞っておく。忘れない。それでいい」 「いい返事だ」 社長は声を上げて笑い、 「だそうだ、ツォン。こいつを一人前のタークスに育て上げろ」 と背後のシュニンに命令した。 社長の声は一切の反論は許さないという威厳に満ちていて、後ろからは唸るような了承の声が返ったのみ。 子供は首を竦めたくなったが、今からそんなことではこの先やっていけないと、息を詰めて姿勢を正した。 NEXT |