「社長の物好きは今に始まったことじゃないけどなっと」 「私は嬉しいです」 「初めての後輩だからなっと。イリーナはずっと一番ぺーぺーだったから後輩が欲しかったんだぞ、と」 「それだけじゃありませんよ」 イリーナは口をとがらす。 「嬉しいのは、社長が先のことを考えてくださったからです」 「社長はいつだってずっと先のことまでお見通しなんだぞ、と」 「そうじゃなくて。もう、いちいち混ぜっ返さないでください、レノセンパイ!」 イリーナはレノに向かって拳を振り回し、それから子供に向き直って真っ直ぐに見つめた。 「社長は今まで、なにもかも終わらせることばかりお考えだったように思うんです。『世界の再生』とおっしゃっても、そこに社長や神羅やタークスの居場所はなかった。でも、タークスに新人を入れるってことは、ご自分の未来を考えてくださったということでしょう?」 「このガキンチョ一人だぞっと」 「一人でも二人でもいいんです。社長が、タークスがいて神羅がある未来を考えてくださったっていうのが嬉しいんです」 「確かにそうだ」 ルードが重々しく頷く。 「タークスは一度入ったら抜けられないんだぞ、と。死ぬまで辞められない。それでいいのかな、と。ガキンチョ?」 「ガキンチョじゃない。俺はデニスだ」 子供は精一杯胸を張って言う。 「デニスというのは」 シュニンがドアから姿を現した。 「神羅製作所時代の初代タークス主任の名だ」 子供はびっくりしたが、レノやルードも目を丸くした。 「その名を継ぐというのが、どういうことか分かるか? おまえはその社長のご期待に添う覚悟があるか」 真っ直ぐ見つめてくるシュニンの目は黒く底光りして、子供はたじろぎそうになる。けれどありったけの勇気をかき集めて拳を握りしめ、足に力を入れてシュニンを見返した。 今の自分は街で拾われた孤児じゃない。 社長から貰った名が、自分の全てだ。 それにシュニンは『出来るか』とは言わなかった。 出来るか出来ないかじゃなく、やるかやらないかということなら、迷いはない。 「俺はルーファウスの命令ならなんでも聞く。なんでもやる。どんなことでも出来るようになりたい」 「そうか」 シュニンは低い声で言って、 「それならまず、二度と社長を呼び捨てにするな」 と、ますます低い声で続けた。 「あ、…う、うん」 思わず頷いてしまった子供の頭に、またレノのげんこつが飛んだ。 「返事は『はい』か『了解』なんだぞ、と。それからセンパイには敬語を使うんだぞ、と」 「いてえ…」 頭をさすりながらレノを見上げると、なんだか楽しそうだ。 その表情を見て、子供は自分がこの人たちに受け入れられたんだと、改めて思った。 それは泣きたくなるくらい嬉しいことだった。 「当分はイリーナに預ける。戦闘の初歩から訓練しろ」 「はいっ」 イリーナの弾んだ声が響く。 「えーーー、オレは?」 レノは不満げに言ったけれど、 「おまえのやり方を見習うと、ろくなことにならん」 と一刀両断だ。 「タークスのエースなのに…」 とかなんとかぶつぶつ言いながらレノは引き下がる。 「タークスは戦闘もこなすが、本来の任務は情報の収集や裏工作だ。そのためには様々な知識や技術が必要となる。時間を無駄にするな」 「はい」 今度はきちんと返事が出来た、と思う。そして同時に気づいた。 自分がここに来てから、誰かしらが勉強を教えてくれたり、端末を使わせたりしたのはこのためだったのか。自分はずっと試されていたんだ。 「社長は無駄なことはなさらない。もっともその結果はおまえ次第だがな」 「わかってる」 「わかっています、だぞ、と」 またレノのげんこつを喰らってしまった。 子供は頭をさすりながら、もう一度姿勢を正した。 そして思い切り大きな声で 「よろしくお願いします!」 と言いながら深く頭を下げた。 「最初からこういうおつもりだったのですか」 ベッドに横たわったルーファウスに、薬とミネラルウォータのグラスを渡しながらツォンは言った。 ようやく医療施設から自分のロッジへ戻ってきたばかりだというのに、いつまでもオフィスを離れようとしない彼をどうにか寝室へ押し込んだところだ。 「最初から、というわけでもないが」 「いつもの気まぐれと思っておりましたが」 「余分な仕事を押しつけられて迷惑か」 「いえ。…初めは驚きましたが、今は少し嬉しく思っております」 「嬉しい? これはまた珍しい言葉を聞いた」 ルーファウスは笑う。 「社長がタークスの将来を考えてくださったことを、皆喜んでおります」 「それほどいいものでもないぞ? これでおまえたちは退職の機会を確実に失ったことになる」 「誰も退職など考えておりませんよ」 「そうなのか?」 「貴方より良い上司は、見つかりそうにありませんから」 「おまえ、世辞なぞ言えたのか」ルーファウスは人の悪い笑みを浮かべてツォンを見る。「いつも小言ばかり聞かされているから、それしか言えないと思っていた」 「そんなことはありません。貴方はとても魅力的だと、いつも言っているではないですか」 「それはベッドの中のことだろう。誰でもそのくらいは言う」 誰でもと一括りにされてしまった。 かつてルーファウスを抱いた男たちの誰でも、ということなのかと脱力しそうになるのをぐっとこらえ、代わりに彼の傍らに手をついた。 この人は本気の発言なのか質の悪い冗談なのかが、わかりにくい。なにもかも承知の上かと思うと、意外にも素で言っているだけだったりする。 この場合どちらでも同じだが――― 「ルーファウスさま」 ベッドの上に膝も乗り上げ、口づける。軽く優しく、角度を変えて幾度も。 ルーファウスの腕が上がり、ツォンの首を抱いた。引き寄せられて口づけが深くなる。 「ベッドの中の貴方は、もちろん魅力的です。けれどそれは、私にとってだけでいい。他の誰にも、必要ない」 首筋に口づけると、ルーファウスはくすぐったそうに笑う。 「はは…これはこれでいろいろと役に立つぞ。人は本能の欲求には弱いものだ」 「私以外には役立てなくて結構です」 ツォンは軽く睨みながら言う。 「ふふ…また珍しいことを聞いたな。でも、悪くない。私はおまえだけのものだ、と思わされるのも。これだけでもあの子供を連れてきた成果はあったというものだ」 「まさかとは思いますが、当て馬にする気で連れてきたと?」 「さすがにそういうわけじゃない。あの子は…」 ルーファウスは目を伏せる。強い光を宿す眼差しが隠れると、乱れた髪と相まってずいぶんと幼く見える。 「私に似ていたんだ」 思いがけぬ言葉に、ツォンは目を見開く。 「貴方に? 似ている所など…」 「副社長当時の、ただ闇雲にカンパニーの実権を握ることばかり考えていた頃の私を見るようだった。考えても見ろ。メテオ災禍からもう5年が過ぎている。あんな年頃の子供が恨みを持ち続け、はらそうと行動するその意志の強さだけでもたいしたものだ」 「そう…言えないこともありませんが…」 似ているなどと言われても、ぴんと来ない。容姿ももちろんだが、 「貴方はずっと、カンパニーと世界のことを考えていらした。個人的な動機で復讐を企む者などと同列には考えられません」 不満が顔に出ただろうか。ルーファウスは笑ってツォンの頬に手を添える。 「あの子供は、視野を広げる機会を与えられなかっただけだ。私もまた、あの頃カンパニーのこと以外は考えられなかった」 それはそうだろう。 ルーファウスは生まれたときからカンパニーの後継者として育てられたのだ。 幼い頃は屋敷を出ることも許されなかった。 もっとも神羅邸はヘクタールで数える敷地があり、百人を超える使用人や兵たちが働く、辺境の村などよりよっぽど規模の大きい場所ではあったが。 カンパニーの事業はエネルギー、交通、通信、宇宙開発といった大規模のものからメディア、日用雑貨の類まで多岐にわたり、従業員も最盛期は億を数えた。それらを全て把握し精通するだけでどれほどの時間と努力が必要か、カンパニーの一端に関わったツォンならばよくわかる。 「今となってみれば、私が興味を持たず切り捨てていたジェノバと古代種、ソルジャーのことが世界の命運を握っていたわけだ」 それも無理はない。ルーファウスは極めて現実的で功利的な性格だ。 ジェノバや古代種の研究は事業的にはイロモノであり、この人はソルジャーによる軍備の増強にも反対だった。 そう――― 思えば当時から今に至るまで、この人の考えは少しも変わっていないのかもしれない。 彼が望むものはいつも、『世界の安定』だ。 彼自身の性格や生き方が『安定』とはほど遠いことを思えば奇妙な気がしたが、意外にも世界に対して『革命的ななにか』をもたらしたいと考えるタイプではない。 むしろ副社長当時から、経営の安定が一番の関心事だった。暴走しがちな研究者たちに対しても、歯止めをかけたがっていたように思う。 やり方はずいぶんと荒っぽかったが――― 「後悔などするわけでもないが、もう少し広い目で物事を見られていたら、と思わぬこともない」 「貴方の責任ではありません」 「だからそんな話ではないんだ。結局当時の私には、セフィロス一人救うことが出来なかったのだからな」 「……」 セフィロスのことは、二人の間に刺さった棘だ。いつまでも鈍い痛みを思い起こさせる。 ツォンは何か言う代わりに、今一度ルーファウスの口唇に口づけを落とす。肩を抱き、深く口づけ、もう一方の手を衣服の中に滑らせた。 ルーファウスはぴくりと身体を震わせ、口唇からは吐息が漏れる。 「……話が途中だぞ」 「結構です、今は…」 「…んっ、…いいのか? 病み上がりでどうのと言って、途中で止める気ではないだろうな」 いつもと逆のパターンに、ルーファウスが釘を刺す。 「…さすがにそれほどの自制心はありません」 彼の言う通りだ、と思いながらも止める気になれないのはなぜだろうとツォンは思う。 久しぶりにセフィロスの名を聞いたからか。過去の話と共に。 遠い昔のように思えるが、実際にはまだ10年ほどしか経たない。セフィロスの死からも。 ルーファウスとセフィロスが深い関係にあったことは、タークスなら誰もが知っている。 それ故に当時のルーファウスは軍備の増強に反対していたのだ。 英雄と謳われたセフィロスが、本当のところは戦場への出征を嫌っていたから。 セフィロスを失ったことは、ルーファウスにとって取り返しの付かない痛手だった。 むろん、ルーファウスにとってだけではない。 あのことがなければ、世界がこんな有様になることもまた、なかったのだから。 それでも一番傷ついたのがルーファウスであったことは間違いない。 セフィロスはただの恋人ではなく、共に神羅カンパニーの未来を背負うはずの人物だった。 ルーファウスは心を許し愛した者を失い、それと共に自身の引いた未来図も失ったのだ。 そしてその結果が――― この荒廃した世界と、企業としての形はとうに失った神羅カンパニー。隠棲というにしてもみすぼらしいと思えてしまう今のこの暮らしだ。 本来なら、あの本社ビル最上階で世界を動かしていたはずの人だ。 彼よりその地位がふさわしい者は他にいない。 NEXT |