―――昨日のHIGH!今日はLOW! 一切合切傷を含んでる コールが鳴る寸前に目が覚めた。 常にベッドサイドに置かれている携帯を手に取る。 「はい」 名は名乗らないのが鉄則だ。かけてきた側は、ツォンの声を認識する―――常ならば。このナンバーに入る連絡は、本部からのものであることがほとんどだった。それも緊急を要する連絡だ。 だが、聞こえてきたのはシスネの声でもヴェルドの声でもない。焦りと緊張にうわずったレノの声だ。 『ツォンさん!』 「レノか。どうした」 『副社長が』 副社長が? 一瞬にして血の気が引く。―――通常は使用しないナンバーにかけてきたこと、現在の時刻、かけてきたのが他ならぬレノであったこと、すべてが良くない知らせを示唆していた。 『倒れた』 「今どこだ!」 『本社の医局』 それだけ聞いて、通話を切った。 医局には入れなかった。 関係者以外立ち入り禁止だと追い返され仕方なく本部へ向かうと、先に追い出されたらしいレノがぽつんとデスクに座っていた。 深夜番の連絡員がコンソールに付いている以外は、レノの姿しかない。 予想外に寂しいその光景に、ツォンは一瞬立ちすくむ。顔を上げてツォンを見たレノの憔悴した様子に、自分に連絡を取ったのは彼の独断だったのだろうとやっと気づいた。 レノに目配せしてブリーフィングルームへ移動する。 「どういうことだ」 「わかんねえ、副社長室で、いきなり倒れたんだ」 「医者はなんと言ってる」 「症状から見て、脳内出血かもしれないって」 「なぜそんな…」 「殴られたから、そのせいかも…」 「殴られた!? 誰にだ!」 思わず大声になった。 「おやじさん…」 「おやじ? …プレジデントか」 「そう」 「……」 続けるべき言葉が見つからなかった。 それをレノに防げと言うのは無理だ。社長と副社長の問題に関してタークスは部外者だ。それどころか、今現在も部外者として蚊帳の外に置かれている。 ガン! と響いた音に、レノは顔を上げた。 ツォンが壁を殴ったのだ。 レノの目が丸くなる。 「ツォンさん……」 「心配か」 いきなりかかった声に、ツォンとレノは弾かれたようにドアを見る。いつの間に入ってきたのか、ヴェルドが立っていた。 「脳内出血の原因は、ガラス片だそうだ」 「…ガラス…」 「そう、自爆テロの時に左目に入ったもののようだ。眼球の裏側にとどまって視神経を圧迫していた。そのせいで視力の異常や頭痛などの症状が出ていたんだな。それが殴られた衝撃で脳内に移動したらしい。その際血管を傷つけたのだが、ゆっくり出血したので症状が出るまでに時間がかかった。しかも副社長はずっと頭痛を訴えていらして、薬もかなり使っておられた。脚に麻痺が出るまでわからなかったのはそのせいだ」 「なぜそんなものが今まで見つからなかったんですか!?」 「最近開発されたきわめて透過性の高いガラスだったのが災いしたようだ。フロアに展示されたマテリアなどのケースに使われていた。見えないガラス、というのが謳い文句だ」 「それで、副社長の容態は…!?」 「まだ手術中だ」 「……」 ツォンは言葉を失った。 聞くべきことはすべて聞いてしまった。 だからといって、何ができるわけでもない。 「ところで」 ヴェルドは拳を握りしめて突っ立っているツォンをゆっくり見やった。 「おまえはなぜここにいる」 はっ、とツォンが顔を上げ、レノはびくっと身体を引いた。 「や、ほら、一応緊急事態だし、何かあったとき俺一人じゃ心許ないからだぞ、と」 レノはヴェルドとツォンを交互に見ながらじりじりと後退る。 「言い訳はいい。本当のこと話せ、レノ」 「主任…」「主任?」 レノとツォン、二人の声が重なった。 「話せ」 「誰にも言わないって、約束したんだぞ…と」 レノは下を向き、ぼそぼそと言う。 「約束?」 問いかけたのはツォンだ。 「副社長と約束したんだぞ、と。それで話聞いたんだ。だから」 「話せ、レノ」 三度目の命令に、渋々レノは口を開く。 「副社長、ツォンさんのことが好きなんだぞ、だから…きっとそばにいて欲しいんだぞ、と……」 「それで勝手に連絡したのか」 「別に…違反はしてないんだぞ、と。外部に情報を漏らしたわけじゃないし……」 「副社長の体調についての情報は、重要機密になり得るとわかった上での発言だろうな」 「えーー」 「とりあえず、緊急用のラインを私用で使ったことについて始末書を提出しろ」 「うーー」 不満ありありの声でレノが唸った。 「そしておまえは」 今度はツォンに向き直り、ヴェルドは問う。 「なぜ来た」 「それは、当然副社長の容態を」 「副社長は医局におられる。それはおまえも聞いたはずだ。おまえがここに来たとて、なんの役にも立たん」 「それは……そうですが……」 「だいたいおまえはレノをたしなめるべき立場だ。連絡を受けた時点でそうすべきだった」 「はい……」 「おまえは帰れ。三日間の謹慎と減給だ」 返す言葉もなく、ツォンは黙って頭を下げた。 いきなり呼びつけられて、好きだと言われた。おまえが好きだ、だからセックスしよう、と。 相手は今までそんな対象として考えたこともなかった少年だ。 そもそも男である時点で対象外、子供であることも同じく対象外だ。しかも上司。何事が起きたか認識できないくらい混乱した。 自分の性的嗜好は大人の男としてごく普通だと思う。仕事柄妻や子を持つことに対しては慎重にならざるを得なかったが、行きずりの―――とは言わないまでも深入りしない恋愛ならば人並みにはあった。相手は成熟した大人の女性であればよく、あとは後腐れない関係を持てることが一番重要だった。 恋愛はゲーム、とまでは言わないが、ただ単に性欲を満たすのみでなく多少の感情のやりとりも必要だがそれ以上ではない。そういった相手を慎重に選び、関係してきた。今現在はフリーだ。 おそらく副社長はツォンに特定の相手がいないことも調べた上で誘いをかけてきたのだろう。しかも、『自分はおまえの相手としての条件を満たしている』と言わんばかりに。当然今までのツォンの相手についても調べ上げていたと思われる。 男と関係したことはなかったが、彼の容姿ならば『男である』というだけの理由で拒絶されることはないのも、織り込み済みだったろう。 仕事上での無理難題ならばいくらでも聞く。タークスに振られる任務は、大方そういうものだ。 だがプライベートで、と言われるとはいそうですかと安請け合いはできない。それもまた任務として、は副社長も望んではいなかった。考えさせてくれというのは、本心でもあったのだが――― 謹慎を命じられて三日め、律儀に家に閉じこもって過ごしたこの二日半の長さは、人生最長だったと言ってもいい。 なにより副社長の容態が心配だった。 何の連絡もないということは最悪の事態にはなっていない証拠で、それだけを頼りに心を鎮めていた。それでもテーブルの上には空になった酒瓶と空き缶が散乱し、買い置きの酒はすでに飲み尽くしていた。 酒を買いに出るか宅配でも頼むか、だがそろそろ切り上げないと明日は出社だ――― ふう、と重いため息をつきソファから立ち上がる。シャワーでも使ってさっぱりしようとバスルームへ向かった。 仕事こそは血なまぐさく荒っぽい任務も少なくない過酷なものだったが、それは承知の上で入った世界だ。神羅カンパニーの中枢近くで世界を動かす仕事をしている充実感とそれに見合った報酬に不満はない。 だが、ツォンの私生活は至って平凡だ。 ミッドガルのスラムに生まれ、13までそこで育った。両親はウータイの出だったがミッドガルで出会って結婚したということで、故郷の話を聞いたことはあまりない。スラムといってもツォンの暮らしたあたりは治安も良く経済的にも比較的安定した階層が多く住んでいた。中の下、と言ったところだ。 12で神羅の軍事学校に入った。その頃から戦争の気配が濃くなり、敵国の出身である者たちは敢えて軍に入りミッドガルへの忠誠を示さなければならない―――という無言の圧力がなかったかといえば嘘になる。親には多少なりともそういう気持ちがあったのかもしれない。軍事学校に入るのは、ツォンの親の所得ではやや贅沢なことだったからだ。だが、ツォン自身はそこまで意識してのことではなかった。 14の時両親が事故で死んだ。残ったのは少しばかりの借金と家だけだった。家を売って借金を清算し、残りを学資に充て学校の寮にも入れるよう手配してくれたのは、当時の担当教官だった。ツォンが他人に恩義を感じたのはこの時が初めてだ。それが神羅の関係者であったことは、ツォンにとって一つの契機になった。 16でタークスに抜擢され、二つ返事で受けた。それからこの暮らしだ。 ミッドガルで生まれ毎日神羅ビルを仰ぎ見て育った。ミッドガルは一応市政を布いているが、事実上は神羅カンパニーの帝都だ。 カンパニーの力がどれだけ強大なものであり、世界の隅々にまで及んでいるか、一番よく知っているのは自分たちだ。この数十年の間に人々が手にした豊かな暮らし―――自動車や電話、空調などのすべてが、カンパニーの技術と魔晄エネルギーによって提供されている。 その頂点に立つプレジデント、そしてその後継者である副社長――― 彼らは自分たちとは違う次元に住む人間だと思っていた。むしろ同じ『人間だ』と思っていなかったという方が正確かもしれない。 特に副社長はその端正な容姿と年齢に合わぬ能力とで、ますます人間離れして見えた。それは誰しも異論のないところだろう。 それがいきなり―――好きだ、セックスしよう、と言われても驚くばかりだ。 だが、冷たくはねつけた形になってしまったのは本意ではなかった。あの時の副社長の顔を思い出すたび心が痛む。 もしこのまま会えないとしたら――― 頭から冷たい水を浴びながら、ツォンは唇をかんだ。壁に額をつけ、こみ上げる感情をこらえる。 シャワーの音に混じって、ドアチャイムがうるさく鳴っていることにやっと気づいた。 「や、」 ドアを開けると、重たげなコンビニのビニール袋を下げたレノが立っていた。 「なんと水も滴るいい男、なんだぞ、と」 そのままずかずかと部屋に入ってくる。 「おい」 髪も拭かぬまま応対に出たツォンはレノを追い返そうとしたが一瞬遅かった。 「酒の追加買ってきたぞ、と」 テーブルに散らばった空き瓶と空き缶を景気よく床に叩き落として、レノはどん、とビニール袋を置いた。 「おまえのつまみは菓子ばかりか」 レノががさがさとテーブルに広げたつまみに呆れる。ポテトチップにタコス、ポッキー、チョコパイにグミまである。酒のつまみと言うより小学生の遠足のおやつだ。 「えー、どれも美味いんだぞ、と」 「第一こんなところで油を売っていていいのか」 「暇だからいいんだぞ、と。暇じゃなかったら、主任がツォンさんに休暇出したりしないんだぞ、と」 「休暇じゃない。謹慎だ。しかも減給だ」 「あー、根に持ってる」 ケラケラと笑いながら、ツォンにビールの缶を押しつける。 「とりあえずビール、でカンパイだぞ、と」 「そんな気分じゃない」 「副社長の退院祝いだぞ、と」 「え」 「医局から屋敷に移動しただけだけどな」 「…では」 らしくもなく声が震えた。深呼吸して心を落ち着ける。 「危険な状態ではないと」 「まー、そうだろうなあ」 呑気な口調で言ったレノはしかし、何事か面白くないような様子だった。 「気になることでも?」 「や、そー言うんじゃないけど」 「ならなんだ」 「プレジデントがさ、ちょーご機嫌なんだぞ、と」 「それは、副社長のお命に別状がなかったのなら当然」「違う違う」 レノはツォンの目の前でひらひらと手を振る。 「体調不良の原因がガラス片だってわかったことで、ご機嫌なわけ。それほど性能のいいガラスならもっと売り込めとか言っちゃって」 「…」 「あり得ないと思わねえ? 仮にも親だろ。精神的なものが原因じゃないかって言われてた時はたるんでるからだってすげーお怒りだったのに」 社長は息子を溺愛していると、もっぱらの評判だった。まだ15歳の子供を副社長として会社に入れるなど、親バカ以外のなにものでもないと。 バカ親の七光りで副社長になったボンボンだと副社長が陰口をたたかれていることも誰でも知っている。それを信じるか否かは、副社長との距離によって違った。 ツォンたちタークスや役員の一部、取引先などは副社長の実力を高く評価している。確かに年若い分無理をしている感は否めなかったが、その他の点ではなまじな重役などよりずっと仕事が出来ると感じていた。 だが副社長と直接接することもない一般社員や市民の間では、『親バカ』はせいぜい苦笑をもって見られる程度のものだったが、分不相応な地位を与えられている『バカ息子』の方は、妬み恨み辛みの捌け口になっている。 それも実は社長の計算のうちだとしたら―――考えるだけで嫌な気分になった。 抱え上げた副社長の薄い肩と軽い身体を思い出す。 「なあ、ツォンさん」 思いに沈んでいたツォンを、レノの妙に真剣な声が引き戻した。 「副社長に、会いにいかねえか、と」 「…は? 何を言ってる。アポもなしに会えるわけがないだろう。しかも副社長はご自宅においでだ」 「ちらっと小耳に挟んだんだけどさあ…、副社長、飛ばされるかもしんないって」 「飛ば…どこへ、いや、なぜだ?」 「表向きはテロ対策? ほんとの所はちょっとばかり目障りになったんじゃねえかなあと思うわけよ」 「社長にとってか…」 「そ。なにしろ目立つじゃん、副社長。良くも悪くも。で、この話信憑性があるぞ、と」 「…そうだな」 「だからさ、もしかして、このまんまずっと会えなくなっちまうかもしれないし」 「…」 「それでいいのかよ? ツォンさん、好きだって言われたんだろ。副社長、まだあきらめ切れてないぞ。それでも無視?」 「無視しているわけじゃない!」 「どこがだよ、ずっと顔も見てないだろ」 「無視したいと思っていたわけでもない。ただ…」 あの日の副社長を思い出す。言い争いしかしなかったような気がするが、感情を高ぶらせた蒼い瞳は美しかった。 「副社長のこと、嫌いか?」 このまま会えなくなる? いつまで? 「―――いいだろう」 「え?」 「副社長に会おう」 ツォンは立ち上がり、クローゼットを開けた。明日着るはずだったクリーニングしたての制服を取り出す。 「神羅邸の構造と警備状況は頭に入ってるな」 「お、おうよ」 「どこから侵入する?」 「あー」 「まさか正面から行って入れてもらえると思っているわけでは無いだろう?」 「そりゃそーだけどよ、と」 「一番警備が手薄なのは―――」 次 |