―――思いがけない見知らぬ顔 時折垣間見せる

 
ルーファウスはツォンをハッチから押し出す―――

精一杯の力で押しやって、ようやくツォンの身体が宙に浮いた―――と思った瞬間、ルーファウスは自分も同時に飛空挺から投げ出されたことに気づいた。ツォンの手にがっしりと腕を捕まれていることにも。

失敗した―――ルーファウスは愕然とする。小型でも十分に威力のある機器を選んだつもりだったのに。この男の執着を甘く見ていた、ということだろうか。
―――そうなのだろう。
ならばそれでもいい、と思う。
やるべきこと、やれることは全てやった。
もう十分だ。
投げやりな気分ではなく、奇妙な達成感を持ってそう思った。
初めての告白を曖昧な言葉で拒絶し、受け入れるまでに数ヶ月を要し、あまつさえ肉体関係を持つのにさらに2年も待たせたこの男が、これほどの執着を自分に持っていたのだと思うと嬉しかった。
嬉しいと思ってもいいのだ。
それはきっと、星の意志だか宿命だかに与えられたものではなく、自分で勝ち取ったものだからだ。
だからそれで十分だ―――

レノとルードは焦っていた。
てっきり、意識がないらしい主任の身体を投げ落とした後で社長が飛び降りるのだろうと考えていたのに、二人いっぺんに落ちてきた。
一人を受け止めるのと二人とではおおいに違う。
社長は体重も軽いし自分の意志で飛び降りてくるなら、なるべく近づいて抱き留めることも可能だろうと踏んでいた。
主任の方はそうはいかないが、方法はある。
一瞬の間に計算し、無言の了解のままプランを立てて行動に移そうとしていたレノとルードは計算違いに仰天した。

思うように動かない身体と混濁しかけた意識の中でツォンは自分の行動に驚きつつも安堵していた。
ルーファウスはどこへも行かない。行かせない。決してこの手を放すことはしない。
彼が否と言っても、星が否と言っても、自分の意志は変わらない。
今はそれだけでいい。
 
焦るレノとルードの目の前で突然、ルーファウスとツォンの身体がふわりと宙に浮いた。
「しゃ、社長…!?」
きらきらとした淡いグリーンの光の粒が、ルーファウスの身体を包む。
「ライフストリーム…?」
「ち、ちがうだろっ」
あのメテオ災禍の折、地上に吹き出し荒れ狂ったライフストリームの様子はまだ記憶に新しい。それは美しく恐ろしい力の奔流そのものだった。その後の星痕症候群騒ぎをも含め、ライフストリームは二人にとって不吉な存在だった。
手を出すこともできずただ見守る二人の前でルーファウスの身体を包んだ光の粒は彼の身体を離れ吸い込まれるように飛空挺へと移動した。

「社長!?」

ライフストリームが抜け出せば人は死ぬ。
滅多に見られる光景ではないが、そういう例もあることは見知っていた。
今ここで起きていることは、まさにそれではないのか。
星痕が治癒した後も社長の体調は回復せず、悪くなる一方だった。その理由を聞かされていたのはツォンだけで、レノたちは詮索するなと言われただけだ。社長と主任の二人からそう命じられれば、勝手に嗅ぎ回ることもできない。もっともそうしたところで何もわかりはしなかっただろうが。
そんな状態の社長が、なぜこんな所へ来たいと言ったのかも皆目わからなかった。二人は命じられたから付いてきただけだ。
だが謎の飛空挺とこの光景を見れば、社長が自分の命と引き替えに何事かを為そうとしていたのだとしか思えなかった。

「冗談じゃないぞっと」
ふざけた物言いは身体に染みついたものだが、レノの声音と表情は真剣そのものだった。
「行くぞ」
「おう!」
ルードの決然とした声に、レノは返事を返すと共に行動を起こした。
崩落して積み重なったり、天井部分から剥がれ落ちて吊り下がった建造物を足場にして二人に近づく。
勢いを付けて跳ぶと同時に常に携帯するワイヤーをあらかじめ見当を付けていた鉄骨に絡ませ、レノは社長をルードはツォンの身体を抱えた。
大きく弧を描いて飛んだ先でワイヤーを手放し、目標地点に着地する。
レノはルードを見て軽く親指を立てた。

「社長!」
腕に抱いた社長の身体には、まだ微かにきらきらした光が纏わり付いている。
それがふわふわと宙に消えていく―――
最後の一粒が消えたとき、頭上に轟音が響いた。

「なんだ!?」
宙に浮いていた飛空挺が、上昇し始めていた。
「危ない!」
あらゆる障害物を無視して飛空挺は上昇を続ける。崩れかけていた天井や壁面から大量の瓦礫が降り注いだ。
「やばい、崩れるぞっと」
「脱出だ、相棒」
「おうよっと」
走り出そうとしたレノは、見上げた飛空挺の変化に一瞬立ち竦んだ。
それは淡い光に包まれ、急速に縮んでいく。
いや、光となって融けていくといった方がいいかもしれない。
それも、ほんの一瞬の出来事だった。
光が消えると共に飛空挺の発していた機械音は途絶え、後はただ瓦礫の崩落する音だけが響き続けていた。

「社長?」
とりあえず安全だろうと思われる地点まで移動して、レノは腕に抱いていたルーファウスに呼びかける。
それまで生きているのかどうかさえ、確かめる間がなかった。
だが首筋に触れても鼓動は感じられない。
怪我こそどこにもないが、とうてい無事とは言いかねる状態だ。
「社長、社長!」
必死に呼びかけるが、力の抜けた身体からはなんの反応もない。
「嘘だろ…」
呆然とするレノに、後ろから声が飛んだ。
「蘇生処置をしろ! レノ!」
「ツォン…さん」
狼狽えて振り返る。
「早く!」
ツォンがルードの肩にすがりながら必死の形相でレノに命じていた。
ようやく我に返ったレノは、慌ててルーファウスの胸に手を置く。
心肺蘇生の訓練は当然受けている。常に死の危険と隣り合わせの職場だ。緊急時の応急処置などもタークスならば心得ていた。
規則正しく心臓の上を押す。
ツォンが這うようにしてルーファウスに近づき、息を吹き込みながら名を呼ぶ。
何があったのか知らないレノには謎の状況だったが、そんなことを問うている暇はない。少なくとも主任は命に別状無いようだということだけはわかる。
「社長! ルーファウス様! 目を開けてください、社長!」
ツォンの血を吐くような叫びが耳を打つ。
 
―――無駄なんじゃないのか
社長の身体から飛空挺に吸い込まれていったあの光は、どう見たってライフストリームだ。光を発しながら消えていった飛空挺がいったいどんな代物だったのかはわからないが、あれが社長の命を持って行った。
そういうことなんじゃないか―――
そう思っても口には出せない。
レノはツォンの方を見ないようにして、ひたすら社長の胸を押し続けた。
掌の下で、骨の折れる音が響く。体力の低下で脆くなっていた肋骨が圧迫に耐えられなかったのだ。
思わず手を放したレノに、ツォンの叱責が飛ぶ。
「続けろ!」
「でも、ツォンさん」
「どけ! 俺がやる!」
乱暴に押しのけられよろめいたレノを無視してツォンはルーファウスの胸に手を添えた。

「主任、救急キットです!」
叫びながら走り寄ったのはイリーナだ。
ヘリに残してきた彼女がなぜここに、とレノは思ったが、横に立つルードを見て連絡を取ったのはこいつか、と合点する。
ツォンの方はそんなことを考える余裕もないらしく、慌ただしく機器をセットしてスイッチを入れた。
ルーファウスの身体が跳ねる。
1回、2回。
それでも思うような反応は返ってこないとみると、キットの中から一本の注射器を取り出し、乱暴に包装を破って躊躇うことなくルーファウスの胸に突き立てた。
後ろで見守る3人は息をのみ、レノは何か言おうとしたが声にならなかった。

「ルーファウス! 目を開けてくれ!」
力なく横たわる彼の耳元に叫びながら、今一度除細動器を取り上げる。
「ツォンさん…もう」
「うるさい、下がっていろ!」
その肩に手をかけようとしたレノを振り向きもせずに振り払う。

もう、いいだろう。社長が可哀想だ―――
その言葉は飲み込んで、レノは下がった。
ベッドの中でも敬語を使ってそうな主任が社長を呼び捨てにしているのなんか初めて聞いた。
それだけ必死で、それだけ余裕がないんだろう。
主任の気が済むまでそっとしておこう―――それできっと、社長も喜んでくれる。

社長が死ぬんじゃないか、というのは、誰もが思っていて誰も口にしなかったことだ。
悪くなる一方の体調。口だけは相変わらずだったけど、最近は食事もろくに取れず点滴でしのぐ日も多かった。眠ったまま目覚めない日もあった。
いつかこうなるんじゃないかと、皆が思っていたのだ。
謎の飛空挺やライフストリームらしき光の正体や、そういうものについて社長は何か知っていたのだろうか。主任は聞いていたのだろうか。
だが、今となってはそれも皆どうでもいいことのように思えた。
これで神羅カンパニーは本当に終わりだ。
オメガによってディープグラウンドから屋上まで全壊した本社ビルとともに―――
呆然と、社長の身体を抱え上げ抱きしめて名を呼び続けているツォンを見やりながら、レノは思っていた。
背後でイリーナの啜り泣く声が聞こえた。
遠くで崩れ落ちる建造物の音が轟く以外、いつの間にか辺りはしんとしていた。
ルーファウスの名を呼び続けるツォンの声だけが悲痛に響く。

社長、聞こえてるか?
アンタほんとに愛されてたんだなあ―――

「やかましい…」

それはないだろ。
アンタのことこんなに―――
―――は?

「少しは力を緩めろ…絞め殺す気か」

「「「社長!?」」」

三人の声が重なった。
ひとりツォンだけは声もなく腕の中のルーファウスを見つめている。
ルーファウスはもう一度口を開きかけ、咳き込んだ。胸が痛んだのか、顔をしかめる。
「くそ、やり過ぎだ、おまえたち…力の加減というものが…!」
言葉が途切れたのは、再びツォンが力一杯彼を抱きしめたからだ。
その頬を伝っているものについては、見なかったことにしようとレノは思った。