―――Lovers Change


「不味い」
そう言ってトレイにのった食事を押しやった社長を見て、レノは目を丸くした。
「今…、不味いって言ったのかな…と」
「不味いから不味いと言っている。これを作ったのはおまえか」
「そうだぞ、と」
「これは塩がききすぎだ。これは焦げているし、これは生焼けだ」
「はあ…」
言われていることはいちいちもっともなことばかりだったが、社長がそんなことを言うのを聞いたのは短くもないこの付き合いの中で初めてだ。
タークス本部に幽閉されていたときも、何度も食事は運んだ。ヒーリンに来てからもだ。
けれど社長が食事に文句を付けたのなんか、今まで一度も聞いたことがない。
『もういい』と言うことはあっても、『不味い』と言ったのは初めてだ―――少なくともレノの記憶の中では。
「おまえの調理は最低だ。なぜレトルトや冷凍を温め直すだけでこうなるのか不思議なくらいだ」
「はあ…」
「ツォンの調理も上手いとは言えないが、きっちり時間を計っているだけましだ。イリーナはその点やはり上手いな」
それは差別発言じゃあ…
「彼女は食べることが好きらしいからな。彼女の買ってくる菓子は美味い」
ああ、そういう理由ですか―――
つーか、アンタ今までずっとそんなこと思ってて言わなかったわけ?
「何か不満か?」
「いや、ちょっとびっくりしただけだぞ、と」
「私が食事に文句を付けたことがか」
「そうだぞ、と。今まで思ってても言わなかったんですか、と」
「そうだな…」
なぜかルーファウスは首をかしげた。
「あまり気にしたことがなかったな。いろいろと考えることややることが多かったからか…食事の味などにこだわっている暇がなかったということか」
自分でも言われて初めて気づいたんだろうか?
「まあ…」
レノはそんなルーファウスを見て、少しばかり申し訳ないような気持ちになった。今まで社長は味音痴だからどんなものでも食べられればいいんだと勝手に考えていたからだ。
「味にこだわるのは悪いことじゃないぞ、と。社長はもっとなんでも好きなようにしてもいいと思うんだぞ、と」
汗水垂らして働く必要なんか生まれたときから一度も無く、どんな贅沢もし放題と思われている神羅社長の実体が、早朝から深夜まで仕事に追われて食事を楽しむことすらできない生活だなどと誰が想像しよう。
飢えたことなど一度もない、というより、飢えを感じる暇さえない生活―――それがルーファウスの日常だった。
放っておけば倒れるまで働く彼に無理矢理食事を取らせるのがタークスの仕事だった頃もある。

「そうだな…」
そう言ってルーファウスはどこか遠くを見つめるような眼をした。レノにはわからない何事かを思い返しているような表情だ。
「それも悪くない」
自分を納得させるかのように呟くと、ルーファウスはレノを見上げてにっこりと笑った。その掛け値なしの笑顔を向けられたレノはどぎまぎする。
こんな顔はたぶん、今までツォンさんしか見たことがないに違いない。
「ではまず食事を作り直すとしよう」
言いながらベッドを下りようとするのを、慌てて押しとどめる。
「ちょっと待った! まだ歩き回っちゃだめだぞ、と」
「もうそのくらい平気だ。今回折ったのは肋だけで脚はなんともない」
「けど」
「おまえに作り直せと言っても、どうせ同じようなものしか出てこないだろう」
「う…」
図星である。反論できないレノだ。
「だから自分でやると言っている」
「社長にそんなことさせたら、オレが主任に大目玉食らうんだぞ、と」
「ツォンに報告する必要はない」
「や、そうだけど」
「手を貸せ」
差し出された腕を思わず取ってしまって、レノは嘆息した。
 
ルーファウスは思いの外器用にフライパンやナイフを扱って、手際よく料理を盛りつけた。
「へー、社長は料理なんかしたことあるんだ」
皿やカップをキッチンからダイニングへ運びながらレノが言うと、
「あるわけないだろう」
ゆっくりとその後に続いたルーファウスは答えた。
「へ?」
「調理している様子ぐらいは見たことがあるからな。パーティなどでは客の前でシェフが料理することも珍しくない」
「見ただけ?」
「それで十分だろう。そもそも全てほとんど調理はすんでいる食材だ」
「そらそーですけどね、と」
「この料理を生の食材から作ることなど、もちろんできないぞ」
「それを聞いて安心したぞ、と」
「なんだそれは」
レノの引いた椅子に座りながら、ルーファウスは笑った。
それもまたなんの作為もない自然な笑顔で、レノはもう一度目を丸くすることになったのだった。
 
結局ルーファウスもツォンも、レノたちにあの日の出来事の詳細を語ってくれることはなかった。
あの飛空挺はなんだったのか、社長の身体から飛空挺に吸い込まれていったライフストリーム様のものはなんだったのか。飛空挺の中で何があったのか。
それでもディープグラウンドからようやく生還した社長はしばらく寝付いていたものの日を追うごとに健康を取り戻していった。一月ひとつきを経た今、ロッジの中ならば不自由なく生活できるほどには回復したのだ。
だからもうあの時の出来事がなんだったのかなんてことはどうでもいいとレノは思う。もともと指令に沿って動くのが身上のタークスなのだ。社長の命令通りに動いて、結果オーライなら自分たちがそれ以上のことを知る必要はない。
それに社長はあれ以来よく笑うようになった。
食事の好き嫌いを言ったり―――社長が実はグリーンピースが嫌いだったなんて、初めて知った―――イリーナに菓子を買ってこいと金を渡したり、散歩に行こうと皆を誘ったりする。
そういう、当たり前の人間らしいところが以前の社長には全然無かったんだと、レノたちは改めて気づいたのだ。

なんだか憑き物が落ちたみたいだ

とレノは思う。
それはもしかしたら『神羅カンパニー』そのものだったのかもしれない。
あの日ディープグラウンドに向かう直前まで、社長はカンパニーの残務整理を進めていた。
全ての権限を選任した者に移譲し、できないものは封印する。
社長がいなくなってもできる限り円滑に業務が進むよう取りはからってきたのだ。
カンパニーが事実上解体されていくのを見るのは面白くなかったが、レノたちの誰も反対はできなかった。
社長の体調不良が回復することはもう無いだろうと、皆心の底で思っていたからだ。
そんな経緯もあって、今のこの状態は思いがけないプレゼントのようなものだった。
だから社長がカンパニーの権限を取り戻そうとしなくても、文句を言う気にはなれなかった。
社長にとってカンパニーは、自分たちが思っていたよりずっと重いものだったのだろう。死を覚悟してやっと下ろせた重い荷物を、もう一度背負う気になれなくても無理はないと思う。

レノの考えは半分は当たっていたが半分はハズレだった。
ルーファウスの『憑きもの』は、神羅の血そのものだったからだ。まさにその憑き物が落ちて、彼は本来の自分を取り戻したのだ―――とツォンは思う。
以前はツォンと二人きりの時だけ稀に見せてくれた笑顔を、惜しげもなく皆に披露する。それは微妙に損をしたような気分にさせたが、ルーファウスが明るくなったのは決して悪いことではない。
今の彼がカンパニーの業務に関わっているのは、ただの義務感となにがしかの楽しみのためだろうと思われた。彼はずっと仕事以外のことをしてこなかったし、だからといって仕事を厭うていたわけではない。むしろ、仕事自体は楽しんでいたと思える。無為に時間を過ごすことは嫌う人だった。

 
月の光がブラインドの間から差し込んでルーファウスの滑らかな肌を照らす。
ベッドから起き上がれるようになるとすぐ、ルーファウスはツォンを求めた。折れた肋骨を気遣いながらの行為ではあったが、久しぶりに触れあう肌の心地は二人に深い満足をもたらした。
ツォンを受け入れて上り詰めるルーファウスを見ることはツォンにとって至上の喜びだ。改めてそれを思う。
汗ばんだ肌、熱い吐息、こぼれ落ちる喘ぎの合間に呼ばれる名の響きに、ルーファウスの中に埋め込んだものがますます力を帯びる。
耐えきれない、というかのように細い悲鳴が上がる。ルーファウスの放ったものがツォンの下腹をぬらし、ツォンもまた目も眩むような激情と共に絶頂へ駆け上がった。

ぐったりしてしまったルーファウスを湯へ運び、身体を洗ってタオルにくるむ。その間にも絡みつく腕、交わされる口づけはツォンの欲情を煽ったが、ルーファウスの方はそんな気はないようで、されるまま黙ってベッドへ運ばれた。
だが髪を拭いて服を着せようとすると、
「このままでいい」
とツォンを横へ引き込む。
細い指がツォンの中心に絡められるのをなんとか押しとどめ、
「セクハラですか」
というと、声を立てて笑う。
快活な笑い声は、耳に心地よかった。

「本当に…」
ツォンはルーファウスを抱きしめる。
「良かった。貴方をこうして抱けるなんて、夢のようです」
「夢じゃないと」「駄目です!」
ルーファウスがつねろうとした箇所をガードして、ツォンは彼の動きを封じる。
「つまらんな」
「まじめな話をしているんです」
「過ぎたことなどもうどうでもいいじゃないか」
腕の中で見上げてくる顔を、ツォンはまじまじと見つめた。
ルーファウスは以前から皆が思うよりは茶目っ気のある性格だったが、こんなにもストレートな物言いをする人ではなかった。
「なんだ。私の顔に何か付いているか? ああ、そうか。思い出したぞ。顔に付いているんじゃなくて顔に」
「ルーファウスさま!」
続けざまに投下されるセクハラ発言(と思うのは間違いなのか? ルーファウスはただ恋人として色っぽい話をしているだけのつもりなのだろうか?)を遮って、ツォンはルーファウスを抱く腕に力を込め、その髪を優しく撫でた。
額に口づけを繰り返し、そっと囁く。
「少しくらい感傷に浸らせてください。あの時貴方の手を放さずにすんだことを、私がどれほど感謝しているか」
「感謝…何に対してだ」
「わかりません…何か人を超える力…星に、なのでしょうか」
「星か…ふん」
久しぶりに聞く冷笑は、時を一気に引き戻したかのようだ。そう、これが慣れ親しんだ元のルーファウスだ。飛空挺事件以前の。
「星に感情があるのなら、最後のシンラに対して哀れみを施したというところか」
「哀れみ…」
「他人に哀れまれるなどまっぴらだがな。相手が星では妥協もやむを得ん」
思わず笑みが零れた。星相手に妥協と言ってのけるところは、神羅社長健在だ。
「星に感情と呼べるようなものがあるのかどうかは不明だが、ライフストリームが生み出した生き物にそれが存在するなら、星そのものにもそれに近いものがあったとしても不思議ではない」
さっきまでの悪戯でエロチックな彼はすっかり影を潜め、まじめな声音は以前ツォンに星と神羅一族の関係を話してくれた時と同じだった。
「星はただの気まぐれではなく、何らかの目的があって地上に命あるものを生み出しているのだ。この一連のオメガ事件で、いっそう真相が明らかになった」
「真相―――ですか?」
「星はその命が尽きるとき、種子を宇宙空間に放つのだという。そしてセフィロス―――ジェノバも言っていた。宇宙を旅して他の星にたどり着くのだと。その二つはばらばらに考えるべきものではないと思う」
「二つは同じことだと?」
「そうではない。これには二つのケースがあり得るということだ。一つは命のない星に辿り着くケース。この場合、そこに新しいライフストリームがもたらされることになる。そしてもう一つは、この星のようにすでに命のある星に辿り着くケース。これによく似た例を、我々はすでに知っている」
「よく似た例―――とは?」
「簡単な話だ。ヒトやそのほかの命あるものは、ライフストリームの縮小版だ。だとしたらそれは、『交配』ということだとは思わないか?」

星同士の交配!?
あまりに壮大な話で、にわかには理解できなかった。

「だから今回、オメガの発動はヒトによって阻止された。まだ、その時には至っていないからだ。ジェノバと星は融合し切れておらず、新しい命を生み出すには早すぎる。ヒトは意識するか否かにかかわらず、星の意図の元に動かされている」
「我々は皆星の意志に操られていると?」
「それほど明確なものではない。その力はヒト一人一人を自在に操れるほどには働かないのだと思う。ただ、大きな流れで見た時には方向は決まっているということだろう。ごく稀に、個人に対してもその力は働く。セフィロスしかり、エアリスしかり、クラウドも、今回のヴィンセントや最後のシンラである私もそうだろう」
「星の意志が貴方を救ってくれたのでしょうか」
「私をあのまま死なせなかったことには、確かに星の力が働いていたのだろう。さっき言った哀れみというヤツだ。だが、あの時私を引き戻したのは、星の意図したことではなくおまえの意志だったと私は信じている」
ツォンは声もなく腕の中のルーファウスを見つめた。
互いの瞳に、互いの姿が映っている。
「おまえが私をこの世界に留め、私に今一度の生を与えた…」
「ルーファウスさま」
「そう、信じている」
囁くように言って、ルーファウスはツォンの胸に頭を寄せた。
15の年に初めてこの男に出逢い、恋をして抱いた予感は全て成就した。
その出逢いとおまけのように手に入れたこの命は星の恵みだったとしても、二人の間に育ててきた愛は自分たちだけのものだ。
本当は、それだけでいい。