寮に戻ってくると、もう夕飯時だった。
魔導院では、朝食はビュッフェ形式で勝手にとることになっているけど、夕食はみんな揃って食べる。
先生たちも一緒だ。
これに遅れると、必然的に夕飯抜きになる。
もちろんミッションに出ているときは別だ。どんなに遅く戻っても、外で食事が取れなかったときは必ずちゃんと夜食を出してくれる。
オレたちはみんな育ち盛りだから、そうでなくちゃ困るけど
でも候補生だけでも結構な人数だから、いっぺんには食堂に入りきれなくて、三交替制だ。
今日の0組は早番で、オレたちは部屋に荷物を放り込むとすぐ食堂へ向かった。
0組は人数が少ないので、一つのテーブルに着いている。
男女向かい合わせだ。エースとデュースを先頭に、名前順。
つまり、オレとエースはいちばん遠い位置に座ってるってことだ。
エースの隣はトレイで、オレの隣はキングだ。
キングとはあまり共通の話題もないので、普段話ははずまないんだが、今日は珍しく話しかけてきた。
「なあ、おまえら今日あのショップにいたろ?」
「…ああ」
「エースが」
どきん、とオレの心臓が不規則な脈をうった。その名前は心臓に悪い。
「店の子に話しかけてたじゃないか」
「あ、ああ」
「あの子に気があるんだとおもうか?」
…なんの話かと思ったら、そんな事か。
「買い物しただけだろ」
「それにしちゃ長く話してたぞ」
「なんか、ラッピング頼んでたみたいだ」
「ラッピング?」
「お土産って言ってた」
「はあ?」
相当意外だったのか、キングは気の抜けたような顔でオレを見て、それからエースの方を見た。
「土産って誰にだ。エースは家族もいなくて院長の預かりになってるって聞いてるぞ」

え?
ええ?
ええええ!?

混乱した。
どこかでガシャーンと大きな音が響いてたけど、オレはびっくりした目でこっちを見ているエースの顔だけしか目に入ってなかった。

「マキナ、おい! マキナ!!」
キングがオレの腕を掴んで引っ張っていることに、やっと気づく。
「なにやってんだおまえ、皿が落ちたろうが」
「あ、ああ…」
見ればオレの食事の皿はみごとに床に落ちて料理はぶちまけられ、ついでにカップも落ちて水もぶちまけられてオレの服も床もびしょびしょのぐちゃぐちゃだった。
オレが急に立ち上がったせいだろう。
「あーあー、マキナん、なにやってんのー」
シンクの呑気な声が響いた。
「マキナってばどうしたの」
慌てた様子でレムがテーブルの向こうから駆けてきて床に落ちた料理を片付け始めた。
「わるい、ごめん、レム、いいよ。自分でやる」
オレはようやくエースから目を引き剥がし――というか、エースはさっさとオレから目を外らして食事に戻っちまったからだが――床に屈んだ。

結局オレは先生に叱られて夕食も食えないまま部屋へ戻った。
どっちにしても胸がいっぱいでメシなんか食う気分じゃなかった。

なんでエースはオレに嘘を言ったんだろう。
揶揄ってやろうと思ったのか。
兄貴とオレのことが嫌いだったのか。

どう考えたって、いい方には転ばない。
どん底に落ち込んで、オレはベッドに突っ伏した。

静かにドアが開いて、廊下の明かりが射し込んだ。エースが戻ってきたのだ。
どんな顔をしたらいいのか、分からなかった。
エースを問い詰めることも、責めることもできそうにない。
だから寝たふりをするしかなかった。

「マキナ…?」
小さな声でエースが呼びかけてきた。
「寝てる…のか?」
黙ったままのオレの様子を伺う気配。
しばらくそうしていて、ほっと息を吐くとエースは静かに自分の机に移動した。
明かりを点けようかどうかためらっているのがわかる。
何かごそごそやっていて、やがて部屋が薄明るくなった。
薄目を開けてみると、明かりの周りに仕切りを置いて、こっちに直接光が来ないようにしている。
オレが寝てると思ってるんだ。でないとしても、少なくとも寝たいか、寝たふりをしたいか、どちらかだと考えたんだろう。
かさかさと紙を繰る音がする。
ああ、そうか。
昼間クリスタリウムで見ていた紙束だ。あの作業の続きをやってるんだろう。あの時オレが邪魔したから。
 
思い返す。
あれはなんだったんだろう。
キングはなんて言ってた?
院長の預かりだって――それはずいぶん特別なことなんじゃないんだろうか。
魔導院に入るのは、簡単なことじゃない。
難しい試験もあるし、資質を問われるものもある。勉強しただけじゃ、入れないのが魔導院だ。
訓練生になるのも大変で、そこから候補生になるのはもっと難しい。
まして0組は、特別、と言われるクラスだ。
エースが孤児だったなら、わざわざ院長が引き受けて0組に入れるなんて普通あり得ない。
それだけエースが優秀だったってことだろうか。
そりゃああいつは優秀だけど、なんだかそれだけじゃない気がした。
それはもしかしたら、今あいつがこそこそやってるあの作業と関係があるんじゃないのか?
なにか、特別の任務とか――そんなものを請け負ってるとか…
考え出したら、確かめたくて我慢できなくなった。

なんでオレに嘘をついたのかを訊くより、何をやってるのか訊く方がずっと簡単だ。
話しかけるいい切っ掛けにもなる。
エースは迷惑だろうけど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。オレ的には。

「エース、それ、何なんだ?」
そっと後方に近づいて声を掛けると、エースの肩がびくりと揺れた。小さく「わ」と声もあがった。
また、全然オレの気配に気づかなかったらしい。
「マ、マキナ、起きてたのか。いやごめん、起こしたか?」
振り返って言いながら、紙束を腕で隠すように抑える。今更そんなことしたって無駄だろうに。
オレは黙ってエースを見つめた。
エースはしばらくそんなオレを見返していたけど、じき諦めたようにため息をついた。
「分かった。でもマキナ、誰にも言わないって、約束してくれないか」
「ああ」
オレはエースと秘密の約束ができることが嬉しかった。嘘疑惑は棚上げにして、ちょっぴり気分が高揚した。
「なにか、特別任務とかなのか?」
オレは疑問を口にする。
「任務…? いや、これはただの稟議書だよ」

リンギショ…ってナニ?

オレの頭はエースの言葉を理解するのを拒否した。
そうだ、とりあえず分かることを訊こう。
「その文字、見たことないんだけど、暗号とか…」
「違う違う。これは僕の家の方で使われてる文字なんだ」

家――という言葉にオレの胸がずきんと痛んだ。

それが表情に出たのか、エースは困った顔をした。
「もうじき決算だし、異動のシーズンだから人事の稟議書も多くて、どうしても間に合わなくてこっちに持ち込むことになっちゃって…」
焦ったのかせっせと説明してくれているらしい。
らしいが――一つも理解できない。
ケッサンてナニ?
イドウのシーズン? 何がどこへ移動するんだ?
ジンジって?

そこまで言って、やっとオレがまったく理解してないことに気づいたらしい。
「あー…」
途方に暮れたような顔で目を泳がせる。
エースは口を噤み、オレもまた何も言えなくて、部屋はしんと静まりかえった。
遠くでナインの怒鳴る声が聞こえる。またなんか騒いでるらしい。

エースは俯き、はあ、ともう一度息を吐いて口を開いた。
「なあ、マキナ。教えてくれるか? 夕食の時、何があったんだ?」
そう来たか。
まあ、いつか訊かれるよな、とは思ってた。
エースの謎な答えだか言い訳だかを聞いた後だったからか、すらすらと返事ができた。
「君には家族がいないはずだって、キングが言ってた」
エースは顔を上げてオレを見つめる。
しばらくそうしていて、
「そうか」
と呟いた。
「今日オレにした話は、作り話か?」
続けて問いかけた。
「いや」
エースは即座に否定した。
「どちらかというと、公式になってることの方が嘘――というか、設定だ」
オレは目を眇める。
なんだか、エースの雰囲気が少し変わった気がした。
エースは眼鏡を外し、オレをじっと見た。心なし、瞳の蒼が濃くなったように見える。
 
「これは院長しか知らないことだが、ミッドガルはオリエンスにある街ではない」

オリエンスにない?
じゃあどこだ。月か?

「どこかと訊くなよ。それは私にも分からん。ただ私の家には、異世界を行き来する技術が伝えられていて、代々の当主はそれを使って異界を行き来することが許されている。このオリエンスの魔導院の存在も古くから知られていて、今までも何人か留学した者があったらしい。私もそうしてみたいと思ったんだ」
リンギショとかケッサンとかわけの分からない単語は出てこなかったけど、奇想天外な話だった。
「じゃ、じゃあ君はどこか分からない他の世界から来たって言うのか?」
「そうなるな」
いつものエースの口調じゃない。
自分のことを「私」なんて言ってるし。
クォンやトレイが言うと気取った言い方に聞こえるけど、今のエースの口から出るとごく自然なのが不思議だった。
いつもそう言っていて、しかも周りの人間がみんな、エースが自分をそう呼ぶことを要求してる――そんな感じだ。
姿勢良くピンと背筋を伸ばして、目つきも戦闘の時程じゃないけど鋭くて、表情も硬い。偉そう――というか、威厳があると言った方がしっくり来る。
家が超金持ち、、というだけでなく、エース自身の地位が高いということなんだろう。隊長クラスでもちょっと敵いそうにない貫禄だ。
「君の父親って、王様とかなのか?」
「え? いや、ただの社長だ…わかんないか」
エースはまた、困った顔をした。
口調も少し戻ってる。

「分からなくてもいい。君がオレに嘘を言ったんじゃないってことが分かれば」
オレはきっぱり言った。
「そうか。なら良かった」
エースは少し、嬉しそうな顔になった。
ささやかな灯りに照らされて、金色の睫毛が燦めく。
「君がどこから来たんでも、オレはかまわない」
「その話は、院長と私だけの秘密だ。他言しないでくれるか」
「もちろん。誰にも言わない。せっかく」
オレは身体を屈めてエースに近づいた。
「君の秘密を聞けたのに」
ゆっくり手を伸ばして、頬に触れる。思った通り柔らかい。
「そんな勿体ないこと、するもんか」
エースは今度こそにっこりと、花が咲くように笑った。
 
部屋はほどよく薄暗く、二人きり。
しかも至近距離!
そんな顔をされたら、もう我慢できない。
笑みを刻んだ桜色の口唇に吸い寄せられる。
顔を寄せてもエースは避けようとはしない。
そのままそっと口唇を

ばあん!

と蹴破る勢いでいきなりドアが開いた。

「おいゴルァ、マキナ!!」

乱入してきたのは見なくてもわかるナインだ。
オレはびっくり箱の人形みたいに飛び上がった。
エースも身体を引き、目を見開いてドアの方を見つめている。
何が何だか分からなかったのは一瞬だ。オレがエースにキスしようとしたのがバレたんだと(そんなわけあるはず無いのに)思ったからだ。
でも、続くナインのセリフで何事なのかは了解した。

「てめぇの兄貴がエミナせんせえにプロポーズしたってホントかよ!?」

寮中に響くような大声だ。
そうか、さっきから騒いでたのはこのせいか――っても、オレは兄貴の見張り番じゃない。
「そんな事知るか、兄貴に訊け!」
思わず怒鳴り返していた。
ナインは眼をぱちくりして、
「お…おう、そうか。そうだな」
と、頭をボリボリかきながら部屋を出て行った。

「ナインのヤツ、珍しくマキナが怒ったからびっくりしてた」
エースが笑って言う。
怒りたくもなる。
さっきまであった『良い感じ』の雰囲気はすっかり吹き飛び、エースはケラケラ笑ってる。
もうとても、キスなんかするムードじゃない。
エースの方にその気があったのかは、結局分からなかったし。
あの時は拒みこそしなかったけど、別に積極的にオレのことを好きと言ってくれたわけでもない。
なんとなく話の流れでそんな雰囲気に持って行けただけだ。
ただ、エースがオレだけに自分の秘密を打ち明けてくれたことは確かだった。
それだけオレを信用してくれてると思うと、嬉しかった。
 
「エース」
オレは改めて呼びかける。
「ん?」
エースは首をかしげてオレを見返してきた。
「ありがとな」
「…お礼を言われるようなこと、したっけ?」
ますます首を傾ける。
「秘密、打ち明けてくれて」
「ああ…」そのことか、と納得した顔で、「マキナなら、言いふらしたりしないだろ。同室だし、これからもまた仕事持ち込んだりするかもしれないから、その時は見なかったことにしてくれよ」と続けた。
「大変なんだな」
「まあ、いつものことだから」
エースは笑って、机に向き直った。
一通り話が終わって、エースは『仕事』とやらに戻ってしまった。
仕方なくその背中を見つめながら、オレは明日、図書室で辞書を引いてみようと思った。
ケッサンとリンギショとジンジとシャチョウだ。
そう考えながらも、辞書にも載ってないかもしれないな、とも思った。

どうやら兄貴がエミナ先生にプロポーズしたってのは本当だったらしい。
しばらくして、オレは兄貴からそれを聞かされた。
エミナ先生が姉さんになるかもって話だ。
良かったなと言いながらも、オレはフクザツだ。
兄貴と違って、エースとオレの仲はまったく進展していなかったからだ。
あの夜は確かにもうちょっとでキス――というところまでいったのに、その後のエースにはそんな隙がどこにもない。
オレのことが嫌い――というワケじゃ無いだろうけど、別に好きでもないのか。
少なくとも、恋人として見ようなんて考えてもいないのか。
――普通そうだよな。
男同士って、すごい難関だ。
腐女子たちが妄想するみたいに簡単にものにできたら、どんなにいいだろう。
でも現実には、オレは『好き』と言うこともできずに悶々とするばかりだった。

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