「エース、エース!」
肩を掴んで揺すると、エースは小さく呻いて目を開いた。
「マキ、ナ…ここ、は?」
「たぶん皇国軍の資材倉庫…だと思う。大丈夫か?」
「ああ…」
そう言いながらも、身体を起こそうとして顔を歪めた。
「くそっ」
悪態を吐いて、起き上がるのを諦めたのかもう一度壁に背をもたせかける。
「モンスターは?」
「追い詰めはしたけど、倒せなかった。外のどこかにまだ居ると思う」
「そうか」
「君が気を失ったんで、抱えてここへ逃げ込んだ」
「立場が逆じゃなくて良かった。僕じゃ君は抱えられない」
薄く笑ってエースは言う。顔は笑っているけど辛そうだ。
「デュースはどうしたろう…」
「最後に見たときは山を駆け下りてた。たぶん…逃げられたんじゃないかな」
「だったらいいけど」
呟くように言って、エースは目を閉じた。

二人ともケアルを装備してこなかったのは失敗だった。
デュースがいるからいいと思ったのだ。いちばん防御魔法力が高いのはデュースだったから。
けどデュースとははぐれてしまって、エースは怪我をしている。
外には手負いのモンスターがうろついていて、倉庫の中にいても気温は多分零下。
最悪だ。

雪山のモンスター退治ミッションだった。
白虎と朱雀の国境にほど近い山中だ。手に負えないモンスターが出たと言うことで、魔導院に要請が来た。
事前の調査では、スノージャイアントだろうと伝えられていた。
その程度ならば3人で十分と踏んだのが甘かったのだ。
辿り着いた山頂近くにいたのは、ただのスノージャイアントではなくゴウセツと呼ばれる亜種だった。攻撃力も体力も桁違いに高い。
オレたちは苦戦を強いられたが、それでもよく持ちこたえたと思う。あと少し、というところまでモンスターを追い詰めた。
けれど、長時間の戦闘に疲れが出たのだろう。ゴウセツの爪をエースが避け損ねた。
爪にかけられ、吹き飛ばされたエースは倒れ込んだまま起き上がらない。
オレはもうモンスターにかまわず、エースを抱えてとにかくその場を離れることに専念した。
遠くでデュースがケアルを唱えるのが見えたが、この距離ではちゃんと発動したかどうか怪しい。
どうにかモンスターの追撃をのがれて逃げ込んだのが、この倉庫だった。

エースの顔色はいつもよりもっと白くて紙みたいだし、息は荒い。血の臭いもする。
オレはエースの制服に手をかけた。
「なに…」
エースは目を開いてオレを制するように手を上げたが、かまっている場合じゃない。
「じっとしてろ」
制服の前をはだけ、ズボンを引き下ろす。
「マキナ…」
やめろ、と言いたかったのだろうが、エースはその言葉を呑み込んだ。オレが何をしようとしているか、見当が付いたからだろう。
左腿の付け根にざっくりと傷ができていた。
かろうじて動脈を傷つけてはいないようだ。あの時のデュースのケアルが効いていたのかもしれない。
でも傷からは血が滲み、盛り上がって流れ出している。
オレは自分のマントを裂いて傷にあてがい、強く縛った。
エースは唇を噛んで、痛みを堪えている。
せめてポーションがあったら、と思う。
阿呆なことに、セットしてきたアイテムはエーテルだ。今はなんの役にも立たない。

脚をぐるぐる巻きにしたので、ズボンを引き上げることができなくなった。
「まぬけな格好だな」
と言ってエースが笑ってくれたので、オレは救われた気分になったけど、こんな所で肌を出していたら凍傷になる。
オレはマントの残りでエースの身体を包んだ。少しでも体温を保たないと。
思いついて倉庫の中に何か使えそうなものがないか探してみたけれど、だいぶ長く使われていないらしく、めぼしいものはなかった。
ただ、隅の方に燃料タンクがあって、ほんの少しだけど燃料が残ってた。
幸いにも、爆発性の高い機体用燃料ではなくて、暖房用らしい。
オレはそれを見つけ出した空き缶に入れて、ファイアで火を点けた。
慎重に調節したつもりだったけど、一瞬すごい炎が上がってびっくりした。
エースも驚いたらしく、オレにぎゅっとしがみついてきた。そんなのは初めてだったから、オレは内心どきどきだったけど咄嗟にエースの肩に腕を回して抱きしめた。
その後火は落ち着いて燃えだした。
エースも安心したらしく、ほっと息をついて力を抜いた。
オレはエースの身体をそのままオレの膝の上に引き上げた。
「マキナ…」
エースが途惑ったような声を上げる。
「こんな冷たい床に座ってたらだめだ。それに、くっついてた方があったかい」
胸にあいつを抱え込むようにして抱き寄せる。
「重いだろ」
「寒いよりましだ」
「そうかも」
小さく笑って、オレの胸に頭を寄せる。
オレはこんな状況にもかかわらず、どきどきした。
抱きしめた身体の華奢なラインにも、柔らかな髪から微かにいい香りがすることにも。
そしてなにより、オレの太腿にエースの裸の脚が当たってることに。
どんなにだめだと思っても、オレでないオレ自身が主張を始める。エースに気づかれたらどうするんだ!
オレはなんとか気を外らそうと口を開いた。
「エース、起きてるか?」
「ん、…うん」
返事はあったけど、声は眠そうだ。
「寝たらダメだぞ」
「ああ…」
ほんとは眠らせてやりたい。傷は酷く痛むだろうし、戦闘と山登りで相当疲れているはずだ。体力もぎりぎりのラインだろう。
けど今ここで寝込んだらまずいのも確かだった。
「何か話そう」
「何の話…週末の試験の予習でもするか?」
いや、さすがにそれはちょっと。よけい眠くなりそうだ。
「君のこと、聞きたい」
「僕のこと?」
「本当の…オレの知らない君のこと」
「おもしろい話なんか無いぞ」
「オレの知らない世界の話だろ。何聞いても面白いよ」
「そうかな」
「うん、話してくれよ。君のこと、もっと知りたい」
「話せって言っても…何から話せばいいんだろう」
「んー、そうだな。ミッドガルってどんなとこだ?」
「街の感じとしては、朱雀の街よりも白虎のイングラムの方が近いかな。高いビルが街の真ん中にあって、」
ぽつぽつと語ってくれるエースの言葉に耳を澄ます。
オレの知らない世界で生まれて育ったエース。
「なあ、エース」
オレはずっと気になっていたことを口に出した。
「そっちの世界に、恋人とか、いるのか?」
エースが一瞬、ためらったのがわかる。
「恋人は…いないよ」
その間は何だったんだ?
「じゃあ好きなヤツとか…」
「こだわるなあ、マキナ」
エースは笑ってオレを見上げた。手を伸ばしてオレの髪に触れる。つん、と引っ張って、また笑った。
「君は、髪は黒いけど眼は緑なんだな」
どこか、遠くを見るような目。オレじゃない誰かを見てるような。
「知り合いに似てるのか?」
「いや」
エースはちょっと吃驚したように目をしばたたいた。
「似ては…いないな」
「似てるのは髪の色か目の色だけか」
エースは目を見開き、オレを見つめた。
「なんで分かった?」
「それは――」
オレが君のことを好きだからだ。君が気に掛ける人のことが、気になるからだ。
「――ただの推理だよ」
その人と君は、どういう関係なんだ?
恋人はいないと、君は言った。
でも、好きな人がいないとは、言わなかった。
君には土産を買っていく相手がいる。たった一人の家族である父親とは仲が悪いと、君は言ってた。
「意外に鋭いな、マキナ。うっかり変なこと口走れない」
エースは笑ったけど、苦しいのか目を閉じて息を吐いた。
「エース…」
「救援は…来るかな」
声には切実な響きがある。
「来ると思う。多分デュースが知らせてくれただろうし…でなくとも、連絡が取れない状態が続けば、捜索が出るはずだ」
「それまで…待てるかどうか…」
「エース!」
心臓を冷たい手で鷲攫みにされたような気がした。
「弱気になるな! きっとすぐ助けは来る!」
必死でエースの顔を覗き込み、呼びかける。
「マキナ…」
エースは薄く笑って、またオレの髪を引っ張った。
引かれるままに顔を寄せると、冷たい唇が重ねられた。
キスされたんだと気づくまでに、時間がかかった。
なんで?
エース。
こんな所で、こんな状況で、なんでキスなんだ。
オレの気持ちに、気づいてたのか?
もうずっと?
でもなんで今なんだ。
エースの口唇は、思ってたより柔らかくて、でも冷たくて、血の臭いがした。
「マキナ…」
掠れた声がオレの名を呼ぶ。
エースの声。
誰よりも大切な、いつまでも聞いていたい声。
「頼みを…きいてくれるか」
「ダメだ、エース! どこにも行かないでくれ、ここにいてくれ、オレのそばに」
ぎゅうっとその細い身体を抱きしめて、オレは叫んだ。
「ちょ、苦しい、マキナ、放せって」
エースが何か言ってたけど、耳に入らない。
「放せ、こら!」

べし、と何かが額に当たった。
かなりイタイ。
オレは呻いて額を抑えた。必然、エースを抱きしめていた腕がはずれる。
「ったく、馬鹿力だなっ」
エースは、げほ、と咳き込みながらオレを見上げた。その手にはカードが一枚。
「もう一枚投げられたくなかったら、ちゃんと僕の言うことを聞け、馬鹿」
はあはあと荒い息をつきながら、それでもエースは燦めく瞳でオレを睨んで言った。
「ごめん…」
オレは額をさすりながら腕の中のエースにひたすら頭を下げた。
「傷は脚だけじゃなく、多分肋も折れてる。内出血もあると思う。これ以上救助を待っていたら、間に合わない可能性が高い」

嘘だろ。
なんでそんなこと平気で言うんだよ。

「だから君は一人で魔導院へ戻れ」
「嫌だ!」
考える間もなく、叫んでいた。そしてまた、エースを抱きしめていた。
今度は頬に、衝撃が来た。
「話は最後まできけ、馬鹿!」
カードではたかれたのだ。
魔力を佩びたエースの武器は、単にはたいただけといってもかなりの威力がある。
「…すいません」
オレはほっぺたと額を交互にさすりながらまた謝った。

「戻って、僕とは山の中ではぐれたと言ってくれ」
「君は…?」
「一度、帰る。不本意だが仕方ない。緊急事態だ」
「帰る…元の世界へ? また…戻ってくるよな?」
「ああ」
鮮やかに笑って、エースは約束した。
その表情は、オレたちの知っているエースであって、エースじゃなかった。どこか頼りなさとあどけなさを残したエースじゃなく、自信に満ちて人を従わせることに慣れた別の人格だ。
なのに、どちらも間違いなくエースで、酷く魅力的だった。

「君に…お土産を買ってくるよ」
笑って、さっきカードでしばいたオレの頬を撫でる。
「一つ…一つ教えてくれ」
オレはそれでもエースを放したくなくて、何か言わなくちゃと思い続けていた。
「なに?」
「君の名前…。本当の名前は、エースじゃないんだろう?」
「ああ…」
その時、目の前の壁が揺らいだ。
正確には壁じゃなくその空間が。

「――ス様!」
揺れる空間の向こうから、男の声がした。

一瞬の、出来事だった。まるで幻のような。
黒い服の男が現れてエースを抱え上げると、かき消すように二人とも姿が見えなくなった。
オレは立ち上がることさえできないまま、呆然とそれを見ていた。

床にこぼれ落ちた血の染みだけ残して、エースはいなくなってしまった。

オレはなんだか情けない気持ちになって、べそべそ泣きながら山を下った。モンスターはどこかで眠ってでもいるのか、出会わなかった。
厳しい寒さで涙も鼻水も凍った。
だから、途中でオレたちを探しに来た救助隊と出会ったときは、涙も鼻水もただ寒さのせいだと思われて気まずい思いはせずにすんだ。

魔導院に戻ると、エースの言った通り山の中ではぐれてしまったと報告した。
けれどその脚で院長室へ向かい、院長にだけは本当のことを話した。そうするべきだと思ったからだ。
院長は、
「そうでしたか。ならば、まずは安心です」
と言って、ほっとした表情になった。
どこか異世界の偉い人から預かった息子が行方不明になったら、責任問題だろう。どこからどういういちゃもんがつくのかは分からないが。
「君は彼からどこまで話を聞きましたか」
院長が質問してきた。
「ミッドガルという街から来たということくらいです」
恋人がいるかどうかなんてプライベートは、いくら院長相手でもぺらぺら喋るようなことじゃない。
「そうか。まあ、彼に大事が無くて良かった」
「でも、ひどい怪我でした」
「迎えが来たのなら、心配いらないでしょう」
そうだった。
見慣れない黒い服の、黒い髪の男。
一瞬だったけど、はっきり見た。
あの男が――
考え込んでしまったオレを見て院長は、エースを心配してるんだと思ったらしかった。
「あちらは医療も発達しているようですし、すぐ良くなるでしょう」
と気遣ってくれた。

NEXT