エースの不在は、思ったより長かった。
週末の試験までには戻ってくるかな、なんて希望は簡単に潰え、次の週になっても、月が変わってもエースは戻ってこなかった。
最初はみんな心配してたし、ことあるごとに話題に上ったけど、じきそれも少なくなっていった。
じつは、魔導院から生徒がいなくなることはさほど珍しくない。
適性に欠けると判断されたらすぐ退学になるし、ミッションで怪我をして辞めていくこともまれにはある。そんな危険なミッションが振られることは滅多にないことだったが。
それでも魔導院に入れたというだけでステイタスだから、中途で辞めたとしても経歴に傷は付かない。そして欠けた席はすぐ別の生徒で埋められる。それが魔導院だ。
エースが不在のまま二月が過ぎた。
0組の席も、オレの部屋の隣のベッドも空いたままで。
よほど怪我がひどかったんだろうか。
それとももしかして――
その先を考えるのは怖ろしすぎて絶対に嫌だった。
オレは不安に耐えきれなくなって、ある日院長室を訪ねた。

院長は、エースの怪我はもう良くなったらしいこと、戻ってこないのはあちらの事情らしいことを教えてくれた。
オレはその場に座り込みそうなほど安心した。

それでも今度は別の不安がオレにのしかかってきた。

あいつが、もう帰ってこないんじゃないかと――

エースは0組でも優秀と言っていい生徒で、それはつまり魔導院でもトップクラスということだ。
この世界ではたいしたことだし、たまに出るミッションでは、モンスターに手を焼いている人たちにとても感謝される。
けど、あちらの世界のエースは、そんなのは比べものにならないくらい重要な人間なんだろう。
あの男――エースを抱き上げて連れて行ったあの男は、エースのことを様付けで呼んでた。
明らかにオレたちよりずっと年上の、機敏な動作と鋭い目つきの男。
あれはエースの護衛――かなにかだろうか。いかにもそんな感じだった。
気づくとあの男のことばかり考えている。

黒い髪、黒い眼。黒い服の――
あの男がエースの『気に掛けているヤツ』だったとしたら…

オレはまるで、ナラクに堕ちた青龍人になったような気分だった。
人を好きになることが、こんなに辛いことだなんて初めて知った。
エースがそばにいた時は、あいつの言葉や動作の一つ一つにときめいたり落ち込んだりした。
好きだと言えないことに悶々としてたけど、今になってみればそれすら楽しかった。
一度だけ重ねられた冷たい口唇の感触を思い出す。
オレの唇を舐めていった、薄くてざらついた舌。
思い出すともう、たまらなかった。
オレは毎晩、エースの名を呼びながら一人の部屋で自慰をした。

「エース…」
オレは君と、こういうことがしたかったんだ。
キスして、抱き合って、君のに触って、君の手がオレの――
男とそんな事をするなんて気持ち悪いと、以前のオレなら思っただろう。
エースは誰が見たって可愛いから、キスくらいなら誰でも普通にできそうだ。
でも、男とセックスしたいと思うなんて、やっぱりどうかしてる。それともそれはただの偏見なんだろうか。
オレにはよくわからなかったけど、エースとそういうことをしたいというのは、切実な気持ちだった。
オレは女ともまだやったことがない。
でも初めての相手があいつだったら、どんなにいいだろうかと思う。
男とか女とか、そんなの関係ない。
好きになった相手と抱き合いたいと思うのは、自然な事だろう。
教室で男子がこっそり廻してるような雑誌を見ても興奮するけど、エースの裸を考えた方がもっと興奮する。たとえ胸がぺったんこでも。

逢いたい。
エース。
君の顔が見たい。
君の声が聞きたい。
君に逢いたい。

「エース…っ」
最後に、小さな声であいつを呼んだ。

「呼んだか? マキナ?」
いきなり声がかかって、オレは死ぬほどびっくりした。
「エ、エエ、エース?」
あんまり慌てたので、思わず聞き返してしまった。
しまった、と思ったけどもう遅い。

いっそ空耳であってくれ!

と祈ったが、やっぱり無駄だった。
「どこにいるんだ?」
だめ押しの声と、部屋を見回している気配。
広くもない二人部屋だ。オレがどこにいるかはすぐ分かるだろう。
毛布に潜ってるからオレのみっともない格好は見えないだろうけど、これじゃベッドを出ることもできない。
下はすっぽんぽんで、隠すものはティッシュしか無い。それもべたべただ。

どうしようどうしようどうしよう

思考が空転する。


「ここかー」
笑い声と共に一気に毛布が引っぺがされた。
「わああっ」
毛布を掴もうとしたオレの手は虚しく空を切り、満面の笑みで毛布を手にしたエースと、ティッシュで股間を押さえたオレとの、3ヶ月半ぶりの感動のご対面となってしまったのだった。

……
…………

「いや、悪い…く、くく」
いつまでも笑いの治まらないエースにいくら謝られても、憮然とするしかない。
そんなオレを見てエースはまた声を立てて笑う。
手の甲で涙を拭い、苦しそうに腹を押さえながら笑い続けるエースを見ているうちに、なんだかもう恥ずかしいとかどうでも良くなってきた。

君がここにいることが、嬉しい。
君の笑った顔が眩しい。
君の声を聞くことを、こんなに待ってたんだ。

「エース!」
オレは有無を言わせずあいつを抱きしめた。
「わ」
エースはびっくりした声を上げたけど、嫌がりも逃げもしなかった。
「心配した…」
「すまない」
「すごく、すごく、心配したんだ」
「悪かったって」
あいつの髪に顔を埋めると、あの時と同じ良い香りがした。
「もう帰ってこないんじゃないかと思った」
「約束したろ」
「うん」
ちょっと涙声になった。
「良かった…エース、帰ってきてくれて。嬉しいよ。ほんとに嬉しい」
「大袈裟だなあ」
腕の中のエースがまたクスッと笑う気配。抱きしめているので、顔は見えない。
「全然大袈裟じゃない。ずっと、君のことばかり考えてた」
「…マキナ…」
少しまじめな声音。
腕の中のエースが身じろぎし、オレを見上げた。
エースは華奢で細身だからすごく小柄に見えるけど、オレとエースの身長差は実際には10センチほどしかない。
ほぼ真正面から見つめ合う格好になった。

「ありがとう」

そう言ってエースは、口唇を寄せてきた。
なんか言うことが違うんじゃないかとオレは心の隅で思ったけど、すぐそんな事はどうでもよくなった。
この前とは違う、温かなエースの口唇。血の臭いじゃなく、エースの匂いがする。
すごくほっとするような、でも身体の芯がぞくぞくして下半身が熱くなるようなキスだった。
口唇を離して、エースを見つめる。

「エース」
エースは深い青色の瞳でオレを見返す。
「好きだ」
「うん」
こぼれた言葉に、肯定でも否定でもない返事が返った。
「君が好きだ」
「うん」
それは単に、わかっているってことなのか?
君は、オレのことは好きじゃないのか?
でもそれを聞くのは怖かった。
「君と…ああいうことがしたいんだ」
「うん」
ためらいなく頷いてくれるのは、オレが好きだからなのか?
それとも、よくわかってないだけなのか?
「いいのか? エース、オレは君とベッドで」
「マキナ」
エースは立てた人差し指をオレの唇に当てた。
「分かってる。僕だって子供じゃないんだから」
まじめな声だったけど、眼は少しだけ笑ってる。そんなエースは、すごく綺麗だ。
「エースっ」
オレは思いきりあいつを抱きしめた。

寮のベッドはさすがに男二人には狭苦しかったけど、毛布を被って裸で潜り込んだ。
もし誰か来たらまずいので、灯りは消した。
寮の部屋には鍵はない。

抱き合って、キスして、エースの身体を手のひらで確かめた。
滑らかで手触りのいい肌。肉の薄い肩。細い腕。この腕でどうやってあのカードを操るんだろう。
エースの脚がオレの脚に絡みつく。
その中心で堅く勃ち上がってるものが、オレのそれと触れ合った。
エースも興奮してるんだと思うと、たまらなく嬉しかった。
「大好きだ、エース」
「うん」
またキス。
いくらしても、もっともっとしたい。
キスしながら、そっとあいつのものに手を伸ばした。
それに触れると、エースはびくっと反応したけど、すぐに力を抜いてキスを続けてきた。
オレはエースのそれを握ってみる。
熱くて、先端は少し濡れている。
感じてるんだな、エース。
そう思うと、嬉しくて仕方なかった。
少しだけ力を入れて扱く。
「んっ、ん」
エースの喉の奥で声が上がった。そして、オレのものがいきなり握り込まれた。
「わ」
思わず口唇が離れた。
「なにが、わ、だよ」
エースが笑う。
「そんな色気のない声、出すところじゃないだろ」
「ごめん、ちょっとびっくりした」
「なんでびっくり? 一緒にイくんだろ」
「や、そりゃ、そうだけど…」
エースがこんなに積極的だなんて、正直思ってなかった。
エースの細くてしなやかな指がオレに絡みつく。
「エ、エース…」
「マキナ、僕のも…」
熱い息をこぼして、エースが身体をすり寄せる。

オレたちはまたキスしながら、互いのものを擦りつけるようにして達した。

少しだけ荒い息をつきながら、エースはオレの胸に顔をうずめるように丸くなる。
オレはエースの髪を撫でた。柔らかな金髪が、汗でしっとり湿っている。
「エース…」
「うん」
「なんだか幸せすぎて、夢みたいだ」
「夢じゃないぞ」
「☆□◎▽◇△〜〜〜〜っ!!」
やっとの思いで悲鳴はかみ殺した。
「ひ、ひどいぞ、エース。なんてこと」
「夢じゃないって、わかったろ」
それにしたってなんてとこ抓るんだ。―――女の子だったら絶対こんなことしないだろう、と思ったら、なんだか可笑しくなった。
エースは男で、女の子っぽいところなんか顔以外無い。でも、そんなこいつがオレは大好きだ。エースを好きになって良かったって、心から思う。
「なに笑ってるんだよ、また抓ろうか」
「それは勘弁してくれ。もっと気持ちいい事してくれよ」
言いながらエースに腰を擦りつける。オレのはまだずっと堅いままで、エースの手に触られたくてぴくぴくしてた。
「いやらしいなあ、マキナ」
エースも笑う。
「嫌いか? いやらしいの」
「まさか」
そんな事を言い合って、二人で笑った。
「じゃあもう一回」
「うん」
夢のような初体験の夜は、そうやって過ぎていった。


エースは3ヶ月半の不在が嘘だったように、すんなり教室に溶け込んだ。そういう雰囲気作りが、抜群に上手い。万事そつなく、際どいところは上手く躱して、誰をも魅了する笑顔を見せる。
そんなあいつが恋人である事が、オレは誇らしかった。
そして、他の誰も知らないあいつの顔を知ってる事が、嬉しかった。
オレたちは毎晩、ひとつベッドで抱き合って寝た。
狭苦しい事さえ、幸せだった。

三日目に初めて、エースのを舐めてみた。
エースはすごく甘ったるい声を出して、気持ちよさそうだった。
「もう出るっ」
と言ってオレの頭を押しのけようとしたけど、オレはそのままエースの出したものを飲み込んだ。
「なにやってるんだか…」
ぼやくような声で言いながらも、エースは今度はオレのを咥えてくれた。
信じられない程、よかった。
エースの口の中は暖かで、ざらついた舌がオレのを舐め上げる。
あのエースが、オレのを咥えてる…そう思うだけでぞくぞくした。
「…エースっ」
エースに出ると言う間もなく、オレはエースの口の中に放っていた。
「…っ」
エースが一瞬たじろいだのがわかる。
「ごめん、吐き出して良いよ、エース」
慌ててそう言ったけど、エースはそのまま喉を鳴らしてオレのを飲み込んだ。
「早すぎ、マキナ」
口元を手でぬぐいながら、笑う。
「だってエースが咥えてくれてると思ったら、もうたまんなくて」
言いながらもオレは感極まってエースを抱きしめた。
「エース、大好きだ」
「ふふ、そればっかりだなあ、マキナは」
「好きなんだから、仕方ないだろ」
ぎゅうっと抱きしめて、耳元に囁く。
「僕も、君が、好きだよ」
一言ずつ、確かめるようにしながら、エースは言ってくれた。
オレは泣きたいくらい嬉しくて、幸せだった。


午後の陽が射し込む教室は、眠気に満ちている。
でも、クラサメ教官の授業だからシンクあたりも眼を擦り擦りなんとか前を見ていた。
そんな中で、窓際の席に座ったエースの首がかくん、と落ちた。
さっきから様子が怪しかったエースをちらちら見ていたオレは、その瞬間をばっちり見てしまった。
すかさずクラサメ教官の手からチョークが飛ぶ。
はっと首を上げたエースはよほど寝ぼけていたのか、飛んできたチョークをカードで叩き落としたのだ。
しん、と緊迫した空気が教室に流れた。
一瞬の空白の後、エースはやおら立ち上がって教官に頭を下げた。

「申し訳ありません!」

教室中の眠気が吹っ飛んだ。
みんな眼をぱちくりしてエースを見つめてる。
エースが居眠りした事はまあ、それほど不思議でもない。どちらかというとエースはよく寝るやつだと思われている。裏庭のベンチとかチョコ牧場とかで昼寝している姿をみんなに見られているからだ。
でも教室で武器を出すなんて失態は、およそエースらしくない。
しかも謝罪の言葉が、まるで大人みたいだった。

「後で教官室へ来い」
「はい」
深々と頭を下げたままのエースにクラサメ教官はそれだけ言って、そのまま授業に戻った。
でも当のエースと教官以外はみんな気もそぞろで、授業の内容なんか頭に入ってなかったと思う。

「エース、大丈夫か? 一緒に行こうか?」
授業の後、オレはすぐエースに声をかけた。
「何言ってんだよ。保護者じゃないだろ」
エースは笑ってオレの胸を叩く。
「で、でも、もし退学とか…」
「それはないって。けど失敗したなあ。このところちょっと忙しかったから、眠気に勝てなかった。こっちだとつい、気が緩んじゃうんだよ」
それは事実だった。
この2週間ばかり、エースは夜になるとあっちの世界へ帰るという生活を繰り返してた。
オレとのえっちも、ここしばらくはご無沙汰だ。
いったいいつ寝ているのかと心配だったけど、きっとほとんど寝ていなかったんだろう。
エースはとん、と教科書やノートを揃えて脇に抱えると、教官室へ向かう。オレは離れがたくて、結局ついていった。


NEXT