優等生のエースの、とんでもない失態の噂はたちまち魔道院中を駆け巡り、エースが呼び出されたというのも知れ渡る事になった。それがどんな事態を引き起こすかを、教官ももっと考えるべきだったと思うのは、オレだけだろうか。
エースが教官室に入っていって、オレは手持ちぶさたなまま廊下に立っていた。
廊下の向こうが騒がしくなったな、と思ったら白衣の男が駆けてきて、何事か怒鳴りながら教官室へ飛び込んだ。
オレは唖然としたまま開け放たれたドアを見ていた。廊下にいた他の生徒たちも何事かと寄ってくる。
中から何か喚く声が聞こえる。
覗いてみると、机の前に座ったクラサメ教官と、少し離れた場所に立っているエースの間に変態で有名な科研のカヅサがいて、怒鳴りまくってた。
教官に怒鳴り、エースに怒鳴る。
エースは眼を丸くして突っ立っているだけで、クラサメ教官は『まずかった』と『やれやれ』と『こいつどうしてくれよう』が同居したような顔でカヅサを見ている。
クラサメ教官とカヅサの仲は有名だ。
腐女子によれば『二人はできてる』のは当然、問題は『どっちが受けか』(受けってなに?と聞いたけど教えてもらえなかった)という事だが、クラサメLOVEの女子は『カヅサが一方的に追っかけてて、大迷惑』という。
どっちが真実かは知らないが、というかどうでもいいが、カヅサがクラサメ教官を好きだってのは確かなんだろうなと、オレはその様子を見ながら思っていた。
謂われもなく罵倒されているエースに、教官はもう戻って良いと言った。
当然だ。
クラサメに叱責されるのは仕方ないとしても、カヅサに非難される道理はない。
カヅサとクラサメの修羅場はまだしばらく続いたらしいが、オレとエースはさっさとその場を後にしたので、その後の事は噂で聞いただけだ。

「で、どうだった?」
「シャワー室の罰掃除一週間で良いって」
「寮の?」
「いや、闘技場の。まいったなあ、余分の仕事増やしてどうするって感じだな」
珍しくエースがぼやく。
「手伝おうか」
「それはまずいだろう。罰なんだし」
エースは笑う。
「そうか」
「まあその程度で許して貰ったんだから、良しとしなきゃだよな…。正直、停学の方がありがたかったんだけど」
停学なんか食らっても、エースは痛くも痒くもないんだろう。丁度良くあっちの世界へ帰れるとか考えてたんだろうか。
クラサメ教官の温情は、エースにとっては裏目に出たわけだ。

エースはぼやきながらも毎日放課後に掃除通いした。
オレが手伝うのはダメだし、一緒にいると手伝ってると疑われるから来るなと言われてしまった。
仕方なくただぼーーっと待つ日が続いた。
オレが心配してたのはエースの身体だ。ずっとろくに寝てない上に、ミッションがあったり闘技演習があったりして、今週は忙しい。
朝飯にも出てこないで教室へ駆け込んできたり、昼飯時に皿の上に顔が着きそうなくらいこっくりしてたり、掃除に行ったきりなかなか戻ってこないと思ったらシャワー室の床で寝てた事もあった。
その時は、オレが一人で行って手伝ったと疑われてもまずいと思い、わざわざその辺にいたジャックを捉まえて一緒に行ったんだ。そしたらエースはモップを持ったまま壁にもたれてくーくー寝てた。
「エースってほんとよく寝るよねえ。でも、シャワー室の床で寝るのはやめた方がいいと思うよー」
なんてジャックに言われて、「僕もそう思う」って寝ぼけまなこを擦りながら笑ってた。

びしょ濡れになった制服は、オレが洗濯してやった。あんまりエースが可哀想だったから。
「エース、ちょっと痩せたんじゃないか?」
オレはあいつの頬に手を添えて顔をのぞき込んだ。心なし顔色も悪い。
「ろくに寝てないし、飯も食ってないだろ」
「今週を乗り切れば、少し楽になるはずだから」
「少し?」
「心配するなって。こう見えても結構丈夫なんだ」
エースは笑ってくれたけど、なんだかその微笑みさえ儚く見えて、オレは思わずあいつを抱きしめた。

そしてやっと今日で罰掃除も終わりだ。
だから今日は迎えに行くんだ、とオレは掃除の終わりそうな時間を見計らってわくわく闘技場へ向かった。
なのに更衣室の中へ入ろうとしたら、知らないやつに邪魔された。
「今日は貸し切りなんだ」
とか、わけわかんない事言われて、引き下がれるか。
「オレはエースに用があるんだよ。エース居るだろ!?」
最後はエースに聞こえるよう、声を張り上げた。
「いねーよ」
とかなんとかそいつは言ってたけど、そんなにオレを入れたくないのか、と思ったら胸騒ぎがした。
0組は特別と言われている分だけ、妬みもされる。魔道院の生徒だからといって、みんなが品行方正なわけでも善良なわけでもない。喧嘩もすればいじめもある。
オレを押し戻そうとするそいつを押しのけて、更衣室へ入り込む。そのまま真っ直ぐシャワールームへ飛び込むと、信じられない光景が展開してた。
そこにいたのは5、6人の男子で(数なんか数えてない)、シャワールームの通路にかたまってた。そして、床の上にエースが、
3人がかりで押さえつけられて、
制服はほとんど引き剥がされて、
むき出しの脚が―――

 
「エース、エース大丈夫か」
オレは倒れたまま動かないエースを抱え上げてそっと頬を撫でた。
「ん…あ、マキ、ナ?」
うっすらと眼を開き、何度か瞬いてオレを見た。
「僕また寝てた…」
と言いかけて顔を顰め、呻いて舌打ちした。
「くそっ、ああもう、馬鹿だ」
その「馬鹿だ」は、その辺にのびてる奴らじゃなく、自分に向けられたものみたいだった。
エースの反応はオレの想像の域を超えていて、オレは何も言えず腕に抱いたあいつの顔を見ていた。
「悪い、マキナ、迷惑かけたな」
いや、全然迷惑とかじゃないし君が謝るなんて変だろ!?
エースは手を伸ばしてオレの口の周りを親指で撫でた。
「血が出てる」
それからエースは、改めて周りを見回した。
「さすがに強いな、マキナ」
「そんなこと」
「僕はだめだなあ、それでも0組か、とか言われたし」

それが問題点なのか!?

「エース、身体…大丈夫か?」
「ああ、首押さえられたんで気を失っただけ…ああ…」
途中でエースはオレを見てようやく気づいた、という顔をした。
「その…なんだ、うーん、ごめんな、マキナ」

なんで君が謝るんだよ!?

オレは泣きそうだ。
「あ、あのさ、とりあえず寮へ戻ろう。な?」
慌てた声でエースがオレを宥めるように言った。なんかいろいろ立場が逆だろう、とオレは思ったけど、結局何も言えなかった。

とりあえず、といって戻った割には、すぐ夕食の時間だった。
ほんとはエースを抱きしめて二人きりで過ごしたかった。けどろくに食事を摂ってないあいつにそんな事も言えず、ばたばたと食堂へ出向いた。
テープルの向こう端のエースは、皿の料理をせっせと口へ運んでいたけど、オレはそんな余裕なんか無い。
さっき見てしまった光景が頭の中をぐるぐる回る。
エースを取り囲んでた奴らを怒りにまかせて片端から蹴り飛ばし殴り飛ばして引き剥がした。
その時、エースの開かれた脚の間を見てしまった自分をどれだけ後悔したか。
あんなこと、あんなこと、あんなこと―――

あんなことされて、エースはほんとに大丈夫だったんだろうか。
確かに見たところ怪我はしてないみたいだった。
ほとんど裸だったから、その点だけはちゃんと見た。
今もあれだけ飯が食えるなら、大きな怪我がない事は確かだ。
でも、
でも、でも……

「ねえマキナ、どうかしたの?」
はっと顔を上げると、レムが心配そうな顔でオレを見ていた。
「えっ、いや、ちょっとさっき肉まん食ったからあんまり腹減ってないだけだよ」
「そう? ならいいけど」
突っ込んでこないのが、レムの良いところだ。
レムに心配されたオレとは対照的に、エースはデュースやトレイと笑いながら飯を平らげてた。


「さっきの奴らどうしたかな」
ようやく部屋に落ちついて、最初の一言がそれだった。
「あんな奴らどうでもいい」
「そうもいかないだろ。掃除も途中だったし…モップも片付けないで来ちゃったしなあ」
「オレがクラサメに言ってやる」
「え」
思いがけない発想に出会った、というような顔でエースがオレを見た。
「ちょ、っとそれは…」
「なんでだよ、元はといえばあいつが君にあんなことさせたからじゃないか!」
「でも…」
「なにためらうことがあるんだよ」
「だって、恥ずかしいだろ」
それはそうかもしれないけど、このまま許すわけにはいかないと思う。あいつらも、クラサメも。
「0組のくせに対処出来なかったのかとか言われたら、立ち直れないよ、僕は」

そこですか!?

「君は…」
不覚にも声が詰まった。
「君は平気なのか、あんな」
エースの手のひらがオレの口を押さえる。
「ごめん、マキナ」
エースは顔を伏せた。
 
なんで君が謝るんだよ!

「マキナ、君は…」
エースは少しだけ顔を上げて、上目使いでオレを見た。
「僕と、ああいうことがしたいか?」

え?
えええ?
どうしてそんな展開になるんだ!?
エースの思考について行けない。

それが顔に出たのか、エースはいきなり堰を切ったようにしゃべり出した。
「今まで君がしたいって言わなかったから、僕はべつにどっちでも良かったんだけど、そのままでいいや的な、えーと、あの、ああいうことって言っても、あいつらみたいにっていう意味じゃなくて、その、女性とするようなって言うか」
激しい既視感。
これは、リンギショやジンジの時と同じだ。
「エース、もういい」
オレは口を噤まないエースを抱きしめた。
頭が良くて成績優秀、リーダーシップもあって冷静沈着が板に付いてると誰もが思うエースに、こんな不器用な一面があるなんてきっと他の誰も知らない。
「…やっぱり嫌…だよな。あんなの見た後じゃ」
「エース! 馬鹿な事言うな!!」
オレの腕の中で呟くように落とされた言葉に、オレは逆上した。
「そんなこと、言わないでくれ!」
エースが傷ついていないはずがない。
どんなに平気そうに見えても、ぶっ飛んだ事を言ってても、あんなことされて辛くない人間なんて居ない。
エースはみんなが思ってるように優秀でいつも冷静だけど、みんなが思ってるよりずっと不思議で変わってるけど、それでも本当はすごく優しくて真っ直ぐなやつだ。
オレが好きだって言うと、嬉しそうにする。
約束は必ず守ってくれる。
笑った顔が、誰より可愛い。
エースを悲しませる事も、苦しませる事も、オレはしたくないんだ。
「エース、君が好きだ」
何言っていいかわからなくなって、オレはエースを抱きしめてその肩に顔を埋めて、耳元に囁いた。
泣き声になりそうなのを堪えたかったからだ。
「マキナ…?」
あいつらがしたようにエースに突っ込む事を、考えたこともないとは言わない。でも、そんな想像をしてたのは、実際に付き合う前だ。エースに触れて、キスして、好きだと言えるようになったら、もうそれだけで十分だった。
エースは女じゃないし、どうしても女とするような事をしなきゃならないとも思わなかった。エースに無理を強いるような事は、したくなかったんだ。
「オレは、君が大切なんだ。誰よりも、なによりも大事にしたいんだ」
「うん…それは嬉しいけど、でも僕は壊れ物じゃない」
また予想外の答えだ。エースはいつもオレの想像の斜め上をいく。
「ああいうことも…初めてじゃないし」

はあ!?
それは予想外過ぎます、エースくん!?

「前にも、あった…?」
「いや、ここでじゃなくて」
「ミッドガル、で?」
「うん、まあ…。ああ、なんでこんな話してるんだろうな、僕は」
エースが困惑したような声を出した。
「話して。君のこと、全部知りたい」
「マキナは優しいな…」
ほんとは優しくなんか無い。エースの事を独り占めしたいだけだ。
「話して」
「ああ…。2年くらい前、誘拐されて、2日間閉じ込められた事があった。その時…」
「誘拐…?」
びっくりした。
エースの生まれた世界は、平和で素晴らしいところなんだと思い込んでいた。いつも忙しそうではあったけど、エースはすごく大事にされていて、危険な事なんかなにも無いのだと勝手に思っていたんだ。
「うん、まあ、未遂は珍しく無いんだけど、その時は社内に共犯が居て、情報が筒抜けだったんだな」
珍しく無いのか。誘拐計画が。どんな生活環境だよ。
「犯人たちはテロ組織を名のってたけど、実体はチンピラだった。だから、逆に計画を察知して阻止する事が出来なかったんだと思う。目的の半分は金で、残りのうち半分は粋がった声明を出す事で、もう半分は僕が目当てだったんだろうな。少なくとも、内通してた社員はそうだった」
2年前って、エースは14かそこらじゃないか。そりゃあ、ものすごく可愛かったろう。
「閉じ込められていたのはどこかの地下室で、2日間だったというのは、後から聞いた話だ。正直、よく覚えてない。そういうときの対処法は教えられていたから、それに従っただけだ」
「対処法?」
「絶対抵抗するな、だ」
ひどい話だ。
子供のエースに、もしもの場合は抵抗するなと教えなければならないって、エースの生まれた世界はどんだけ殺伐とした場所なんだろう。
 
「でも今回は、もうちょっと抵抗しても良かったかな」
エースはオレの胸に額を付けて、クスッと笑った。
「教室で武器出して罰掃除喰らったのに、武器も魔法もまずいよな、とか考えてたら完全に出遅れた」
エースらしすぎる。
「でもマキナが来てくれて助かった。さすがにあのままやられっぱなしは嫌だよな」

『よな?』、と軽く言われましても。
オレは飯も喉を通らないくらいショックだったんですけど。

「エース、君は恋人はいないと言ったよね」
「うん」
「好きなヤツと、その…ああいうことをしたことはないのか? 無理矢理だけ?」
「そう…だな」
ちょっと考え込むエースに、オレはどんな答えが返ってくるのかどきどきだ。

「無理矢理だけってわけでもないけど、好きなヤツとしたことはないよ。マキナ以外とは、マキナとしたようなこともしてない」
なんだかビミョーな答えだ。
喜んでいいのか、エースが可哀相なのか、その『だけってわけでもない』って所を突っ込むべきなのか、いろいろ迷う。

「マキナ」
エースの目が真っ直ぐオレを捉える。
「君が好きだ。君とえっちするのは気持ちいいし、好きだって言われると嬉しい。他に誰も、そんな相手はいないよ」

決定。

喜べばいいんだ。

「オレも、嬉しいよ。エース、大好きだ」
もう一度抱きしめて、キス。
「ありがとう、エース、話してくれて」
「それは僕が言うべきだな。ありがとう、マキナ、聞いてくれて。今まで誰もそんな事聞いてくれなかった。カウンセラーは来たけど、所詮彼らは仕事だし。本当に親身になって聞いてくれたのは、君だけだ」
 
向こうの世界で、エースはどれほど孤独なんだろう。
こっちでもエースは落ち着いていてクールなヤツだと思われてるけど、本当の彼がもっとずっと大人びているというか、ほんとにオトナ顔負けなヤツだってことは、オレの他に誰も知らない。
教室での事件の時見せたあの謝罪の姿勢が、本当のエースだ。
ただ謝っただけなのに、変に迫力があってクラサメ教官ですら黙らせた。クラサメは口数の多い方じゃないからみんなは気づかなかったろうけど、一瞬エースに押されて言葉が出なかったんだ。
オレたちと同じ年令なのに、そんなふうに振る舞い続けなきゃならないのは、きっと楽なことじゃない。
慰めてくれる家族も、一緒に笑ってくれる友だちもいない生活。
辛いことも辛いと言えない、そんな立場なんだろうと思うと心が痛んだ。

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