「セフィロス…」 痛々しい響きさえある擦れた声が呼ぶ。 それは、隣室でそれを聞くツォンの心もかき乱す。 「なぜ?」 夜ごと訪れる夢は、ルーファウスに悲しみだけを残してゆく。 暗闇の中にその人の姿を描こうとするが、上手くいかない。 セフィロスはもう子供ではなかったが、大人とも言えなかった。 まだ十才にもならない自分では、相手にしてもらえないかと思ったが、精一杯背伸びして話しかけた。 一目見た瞬間に、その常人とは違う輝きに魅せられていたのだろう。 それでもその頃のセフィロスは、まだごく普通の少年だった。 将来のプレジデントだと紹介されたルーファウスに対し、それなりの配慮を持って接してくれた。 ルーファウスは、有頂天になった。 だから最初は、ルーファウスの一方的な片恋だったのかもしれない。 もちろんそれは、恋と呼ぶにはあまりにも淡い感情ではあったのだが。 数えてみれば、会ったのはわずかな回数だったろう。 だが、大人に囲まれて育った孤独な少年達がうち解けるには、それで十分だった。 ルーファウスにとってそれは、互いに心を許しあう初めての経験だった。 そうだったのだと思う。 本当のところ、セフィロスがどう思っていたのかはわからない。 自分はセフィロスよりも五才ばかり年下で、実際は相手をしてもらっていたというのが正しいのだろう。 それでも、セフィロスの気持ちはウソではなかったとルーファウス思う。 ほんの少しでも、彼に好かれていたということだけは。 セフィロスがソルジャーとしてウータイへ行くと聞いたときのショックは、今も胸に残っている。 ソルジャーとして戦地へ行くいうことは、死ぬかもしれないということだ。 それを命じたのは神羅だ。 父だ。 ――そして自分だ。 自分に今、それを止めるだけの力があったら、決していかせはしないのに。 なぜ、そんなこともできないのか。 無力な自分が厭わしく、憤ろしい。 ルーファウスは、セフィロスに縋り付き、 「だめだ」 と繰り返した。 セフィロスは困った顔をして、ルーファウスの頬を撫で、 「そんなに泣くな」 と言った。 自分が泣いていたことを、その時ルーファウスは初めて知った。 泣きやまぬルーファウスをセフィロスは抱きしめ、髪を撫でてくれた。 暖かい口付けが額に、頬に降ってくる。 そして唇に。 実際に関係を持ったのは、もう少し後になってからだ。 セフィロスが戦地から戻った折に。 セフィロスは、自分の知っていた彼よりもずいぶん大人びて、荒んだ殺気をまとわりつかせていた。 だが見た目の変化は、成長期にあったルーファウスの方が大きかったかもしれない。 だから、あの日ただ優しい口付けをくれただけだったセフィロスが、容赦なくルーファウスに身体を開くことを要求したのかもしれなかった。 もう子供ではなかったセフィロスと、否応なしに子供の時間を終わらされようとしていたルーファウスには、『心許せる友人関係』を続けていくことは不可能だった。 二人の関係は、命令する者とされる者に分かたれようとしていたからだ。 ルーファウスにとってその行為は初めてではなかったにも関らず、ほとんど苦痛をもたらしただけだった。 だがそれでもルーファウスは、二人で分かち合う新しい秘密の味に酔いしれた。 二人は、幼い想いを心の底に沈め、その上に『互いの利害の一致』という蓋を被せて抱き合うことの言い訳にした。 二人はすでに、求め合うことにも言い訳が必要な、過酷な世界の住人だった。 「セフィロス」 悲しみはほとんど痛みのように感じられる。 呼びかけても、残像は応えない。 夢の底から浮かび上がってくるたびに、鮮やかなその人の影は形を失って記憶の縁を滑り落ちてゆく。 昨夜は泣き叫んで目を覚まし、ツォンを狼狽えさせた。 なんでもない、ただ夢を見ただけだと言い訳しても、なかなか納得させられなかった。 無理もない。 自分でも、この私が夢にうなされる――あまつさえ、夢で泣くことがあろうなどとは、考えたこともなかったのだから。 息を潜めてはいるが、扉の向こうでレノとルードが様子を伺っていたことも、わかっていた。イリーナが任務で留守だったのは、幸いだった。 この分では、部屋に防音を施さねばならないかもしれない。 夢の中までは、自制が利かない。何かに共鳴するように、感情が暴走してゆく。 しかも、夢の内容はほとんど覚えていないのだ。 ただ一つ。 セフィロスの夢だということ以外は。 セフィロス―― 北の大空洞で、クラウド達と戦って以降の消息は知れない。 ジェノバと共にライフストリームに還元されたのだろうか。 だが、星はジェノバを異物として排除しようとしていたはずだ。 ジェノバもまた、そう易々と星に取り込まれるものだろうか。 突然の痛みに、ルーファウスは呻いた。 腕だけでなく、身体全体が脈打つように痛む。 歯を食いしばり、身体を丸めてやり過ごそうとするが、痛みは強くなるばかりだ。 抱え込んだ腕が、にじみ出した膿でぬめる。 苦痛に霞む視界の隅で、ドアが開きツォンが駆け込んでくるのが見えた。 大量の鎮痛剤で、ようやく痛みは治まった。 夜明けにはまだ間がある。 「少し休むといい。私はもう大丈夫だから」 ずっとそばに控えているツォンに言う。 暗に、一人にして欲しいとの意味を込めて。 「はい」 そっとドアを閉めてツォンの姿が消えると、ルーファウスはぼんやりと暗闇に目を向けた。 薬のせいで、ぼうっとする。 薬は、もと神羅科学部門から届けられるもので効き目は確かだったが、意識が混濁するのは避けられない。所詮、麻薬の類なのだ。 それでも、痛みは体力を削いで病状の悪化を速めるとわかっていたから、ルーファウスは何種類かの薬を使い分けて日常を過ごしていた。 働き続けるためには、そうするしかなかったのだ。 だがそれももう、長いことではないかもしれない。 ライフストリームに還る―― その実感は、どうしても湧かなかったが、それも良いかもしれないと思う。 自分と神羅が殺した人々の生命と一つになって、星を巡るのだ。 その皮肉に、ルーファウスは僅かに唇を歪めた。 そう。 ジェノバのことを考えていたのだった。 ジェノバ。 セフィロスを奪っていった、あの天から来た災厄。 セフィロス―― 自分が知っていたセフィロスの心は、いったいどこに行ったのだろうか。 ジェノバに取り込まれる前の、確かに人間だった彼は。 ルーファウスが愛したセフィロス。 本当は、言いたかった。 いつでも、どんな時でも、愛していると。 失いたくない、そばにいて欲しい。誰よりも大切なのだと。 どの一つの言葉も、口にすることはなかったのだけれど。 ルーファウスの知らない場所で、自分を見失っていったセフィロス。 否―― そうではない。 セフィロスの身体は、ジェノバの意志に取り込まれてしまったのだ。 人を、世界を、星を憎むジェノバの意志。 それは秘やかにセフィロスの体内に潜み、出現の機会を窺っていた。 セフィロスが怒りと不信に心を奪われる時を。 その時こそ、ジェノバの意志はセフィロスを我がものとできるはずだったから。 そしてその機会は、もちろん神羅によって用意されていた。 自分も、セフィロスも、なにひとつ知らされてはいなかった。 だが、その頃もう神羅の一員であった自分には、セフィロスを追いつめた者たちと同じだけの罪がある。 たとえ名前だけの副社長でも、神羅と自分はイコールだったのだから。 だから自分には神羅のやり方を非難する資格はない。 それでももしあの時、何があっても、どんな時でも、自分だけはセフィロスを愛していると伝えられていたなら、何かが変わっていただろうか。 だとしたら一番罪が重いのは、この自分だ。 セフィロスに手を差し伸べることさえしなかった、この―― セフィロスは、狂気に蝕まれてニブルヘイムに火を放ったという。 それは、もうセフィロスではなかったのだ。 だからそこにあったはずの、ルーファウスの知っているセフィロスだったものは、その時すでにライフストリームへと墜ちていってしまったのだ。 あの、孤独で美しかった魂は。 残されたのは、殻だけだ。セフィロスの心にあった情報を素に、再構成されたジェノバの意志。 あのセフィロス――メテオを呼び、北の大空洞でクラウド達に倒されたセフィロスにとって、自分は唾棄すべき神羅の象徴でしかなかったろう。 だが、もう一人のセフィロス、ジェノバの意志にはじき出されたセフィロスは、どうなのだろうか。 ルーファウスは、ようやく思い当たる。 ライフストリームに還ってなお、人の意志が形を保つならば、自分に呼びかけているのはあのセフィロスではないのか。 それはかなり核心に近い考えだと思われた。 ならばきっと、セフィロスは自分に伝えたいことがあるのだ。 ライフストリームの流れのどこかから。 この『星痕』を通じてその交感がなされるのなら、死に至る病すら悪くはない。 だが、そこに介在するのがジェノバの意志だというならば、討ち滅ぼさずにはおけない。 ジェノバは、自分にとってもセフィロスにとっても仇だ。 「導いてくれるのか」 暗闇に向けて、囁く。 頷くように揺らめく碧白いライフストリームを、確かに見たとルーファウスは思った。 「ツォン」 自分の身体の下で、快楽を貪っているとばかりと思っていた人が小さく問いかけてきた。 「言葉にしなくても、気持ちは伝わると思うか?」 こんな場面で、訊くことだろうか。 それでも律儀な部下は、答えを探す。 「そうですね…。時と場合によるのではないでしょうか」 「おまえはどうだ、ツォン」 たたみかけるように返されて、一瞬絶句した。 どういう答えを期待されているのだろうか。 私が貴方の気持ちを判っているか、と問われているのだろうか。それとも、私の気持ちを貴方に伝えろと言われているのか。 ぐるぐると言葉が脳裏を駆けめぐる。 「ふ」 ルーファウスが笑う。 最近の主は、時によりこの手に余る。 それは明らかにルーファウスがツォンの思量を越えて成長した証だったのだが、喜びよりも一抹の寂しさの方が勝っているのは、二人の関係を考えれば無理からぬことだったろう。 しかもそれは、ごく近い将来、永遠に失われてしまうかもしれないのだ。 敢えてそのことは考えぬようにと思っても、ちりちりと心を噛む焦躁を押さえきることは難しい。 「やはり、言わないとだめらしい」 ルーファウスは身体を起こし、ツォンの首を抱く。 耳元に口を寄せ、擽るような声で 「愛してるよ」 ――今度こそツォンは固まった。 こんな言葉を主の口から聞く日があろうとは、想像だにしなかった。 「二度は言わないぞ。よく覚えておけ」 悪戯っぽく笑った顔が、幼い日の主を思い出させた。 だがその内容はあまりにも衝撃的だ。ツォンは首を振る。 「そんな、そんな…」 言葉が見つからない。 たとえようもなく嬉しいはずなのに、むしろ心は痛みに悲鳴を上げている。 「遺言のようなことを、か?」 笑いを含んだ声で、からかうように言う。 「だが私はまだ死ぬつもりはないぞ、ツォン。このまま諾々と星の意志とやらの言いなりになってたまるものか。これはまあ、そうだな、ただの確認だ。 おまえにはこれから、もっと働いてもらわねばならないからな」 「そんなことは…私は貴方の命令ならばどんなことでも」 「ああ、わかっている」 「ならば結構です」 それでも。なぜ、いきなりそんな事を。 その心の声を聞いたように、ルーファウスはぽつりと呟く。 「もう、言わなかったことを後悔したくない…」 それはツォンに向けられた言葉ではなかった。 それに嫉妬したことはない。 ただ、その声に滲む悲嘆が、ひたすらに痛ましかった。 ルーファウスがタークスに北の大空洞の調査を命じたのは、その二日後だった。 後書きに似たもの |