MIDGAR CITY


「やあ、来たか」
 ルーファウスは、ドアの開く音を聞くとモニタから顔を上げて入ってきた男を見る。
「さて、今日は半日ばかり付き合ってもらうぞ」
 ノートの電源を落とし、デスクを回り込んで男の前に立つ。
 男はいささか訝かしげにルーファウスを見つめた。
「副社長と賭け事は厳禁だと言われました」
「ヴェルドのヤツ、まったく口煩いな。だが今日は別にそんなことをして遊ぼうというわけではない。君はタークスに入る前、スラムでボスの用心棒をしていたそうだな」
「…」
「警戒するな。私は別にとがめ立てしようなどと思ってはいない。聞きたいだけだ。スラムには詳しいのだろう?」
「…はい」
 ようやく返事が返る。ルーファウスが何を言いたいのか、掴みかねているのだろう。
「では私を案内したまえ」
「ええ? …どこへ?」
 まぬけな返答だが、相手は大真面目だ。
 ルーファウスは僅かに嘆息し、
「だからスラムへだ」
 と返した。が、すぐに
「だからスラムのどこへ」
 と切り返された。
 咄嗟に、
「それは君が決めていい」
 と言ってみるが、相手はうさんくさげに目を眇めてルーファウスを見やっている。
「主任の許可は下りているんですか?」
「バカを言うな。なぜ私の行動にいちいちヴェルドの許可がいる」
 ルーファウスは腹立ちを装って強い言葉を選ぶ。
「君は誰が上司か分かっているのか? 今現在この社には、私に命令できる権限を持った者は社長一人しかいない。忘れているのかもしれないが、私は神羅カンパニーただ一人の副社長なのだぞ」
「…」
 あと一押しとばかりに、ルーファウスは言葉を続ける。
「それに君はヴェルドから、ここでのことは他言無用、私の命令に従うように、と言われてきたのではないのか?」
 それはそうだが、と男の迷いはルーファウスにも手に取るように分かる。
「スラムは危険だ…」
「だから君に頼むと言っている」
「…」
 相手が沈黙している間に、ルーファウスは行動を起こす。
 秘かに『副社長の制服』と言われているトレードマークの白い上衣を脱ぐと、どこから調達してきたのかそうとうにすり切れたジャケットを羽織った。
 そこでは今日最初に感じた違和感の正体に気づく。
 ルーファウスはいつもの白のスーツのボトムではなく、薄汚れたジーンズをはいていたのだ。
 ジャケットのポケットからくしゃくしゃの帽子を取り出しながら、呆然とその姿を見つめている男に
「行くぞ」
 と声をかける。
 
「誰かに見とがめられたらやっかいですよ」
 まだしぶる男を従えて、ルーファウスは人気のない廊下を早足で歩く。
「大丈夫だ。ここのセキュリティは全部誤魔化してある。保守整備用のエレベータを使うぞ」
 副社長自らが会社のセキュリティに穴を開けるような真似をして良いものだろうか。
「フッ、穴のないセキュリティなど、あり得ないものだ。そこを補うのが君たちの仕事だということを忘れるな」
 その考えを読んだかのようにルーファウスは言葉をかける。
 子供と思って侮ると痛い目に遭うと先日も思い知ったばかりだというのに、その見た目と仕種の演技とも思えない幼さについ騙されそうになる。
 油臭いエレベータで一気に地下まで下りると、タークスでさえ知らないような通路を辿って地下坑へ出た。

「こっちだ」
 迷うそぶりもなく歩き出す。こんな通路を使ったことがあるのだろうか。
「もちろん来たのは初めてだが、図面で見たとおりだったな」
 また見透かしたように説明されて、確かにカンパニーの副社長職が務まるだけのことはあるのだろうと、男は心の中で嘆息する。
「こっちへ行けば七番街だ。その先は君に任せる」
 
「なぜ外へ出るのにわざわざこんな面倒なことをするか分かるか?」
 下水臭い地下坑を歩きながらルーファウスは問いかける。
「…」
「君は本当に無口だな。まあ、口煩いよりは良いが」
 ルーファウスの口調は、その足取りと同じく軽い。
「ヴェルドも口煩いが、ツォンも細かいことに五月蠅いだろう。あの二人はよく似ているな」
「そうか。主任に見つからないためにだ」
「え?」
 唐突な答えに、ルーファウスは男を見上げる。
「…ああ、それもあるがな。そもそもなぜ私が外出するのにヴェルドの目から逃げ隠れしなくてはならないかだ」
「副社長がスラムなどへ行くと言えば、誰だって反対すると思う…」
「それはそうだろうが、そういう問題じゃないんだ」
 俯いた金色の髪と帽子に隠れてその表情は見えないが、声にはさっきまでの楽しげな調子がない。
「私は」
 遠くから機械音が響いてくる。
「このミッドガルで生れて育った。だが、屋敷と本社ビル以外の場所のことは、ほとんど知らない」
 電車の音だろうか。駅が近いのかも知れない。
「プレートの上の街も、車の中から見たことしかない。街の中を歩いたことさえないんだ。ましてスラムなど、データとしては知っていても実際に見たことはもちろん一度もない」
 なんとなく分かってきたと、は思う。
 スラムを知らないことが幸福なことか不幸なことかは微妙だが、この少年は神羅というカゴの中で育てられたのだ。
 貧しさや餓えとは無縁だったろうが、自由とも縁のない人生だ。
 自分たちは自ら選んでこの仕事についた。
 それが果たして良かったのかどうかはまだ分からないが。
 だがこの子には、最初からそんな選択の余地はどこにもなかったのだ。
 そう。
 たまにはこの子にだって息抜きが必要だろう。

「分かった。あなたが行きたいところへ案内しましょう。メシ屋でもジャンク屋でもみつばちの館でもいいですよ」
「蜜蜂? なんだそれは。ハチミツ屋か?」
 見上げてくる目が本気で、男は思わず笑った。

 

 
「そんなものを食べて、腹をこわしても知りませんよ」
「まあ、大丈夫だろう」
 笑って言うルーファウスは満足げだ。
「そう不味くはない」
 道ばたの屋台で売っていた得体の知れない煮込みをどうしても食べると言い張ったのだ。
 その辺の瓦礫の上に座って、煮込みを食べている様子はとても神羅の副社長には見えない。
 明るい金の髪は帽子に隠れて、薄汚れた服は不自然さ無く辺りに溶け込んでいる。
 そもそもあの神羅の副社長がこんな子供だとは、誰も思うまい。
 ルーファウス・神羅という名はメディアにもしばしば登場するが、実際にはプレジデントの陰に隠れて本人が表に立つことは少ない。
 しかもモニタを通すとそれなりに大人びて見えるが、白いスーツを脱いだ彼は年相応の子供だ。
「モンスターの肉かもしれないですよ」
「それはない」
 固そうな肉にかぶりつきながらルーファウスは笑う。
「モンスターは死ぬとすぐ分解が始る。砂のようになって、とうてい食用には出来ない」
「よく知っていますね」
「本社に煮込み屋はないが、モンスターなら実験室にもいる」
「なるほど」
「でも、ネズミの肉かもしれないな。スラムではネズミも食うそうじゃないか」
「合憎俺はネズミを食ったことはないですがね。そんなものを食っているのは、お偉方じゃないんですか」
「ああ…。ミディール産の大ネズミか。確かにそれなら食べたことがあるな」
 空っぽになった皿を置いて立ち上がるルーファウスを見て、男は嫌そうに顔を顰めた。
「高級珍味だそうだが、これとどっこいの味だったぞ」
 ますます嫌そうな男を見あげてルーファウスは笑う。
「さて、次はどこへ案内してくれるんだ?」

 

 
 
「こっちだ!」
 きゃしゃな手を引いて路地を曲がる。
 ごたごたと積み上げられたがらくたの陰に隠れて息を潜めた。
 抱え込んだ少年は息を弾ませてはいるが、慎重に気配を消している。
 緊張はしているが、怖がっている様子は微塵もない。
 追ってきた男たちが騒々しい声を立てながら通り過ぎていく。
 それを確認して路地の奥へと歩を進めた。

 非合法というわけでもない、プレート上の住民も訪れるようなごく真っ当なカジノへ連れて行ったのだ。
 スラムの中をあちこち歩き回るよりはましだろうとの考えだった。
 それに、この少年にギャンブルをやらせてみたいという興味も少しだけあったのだ。
 以前ちょっとしたゲームをやったときの圧倒的な強さには舌を巻いた。
 ギャンブラーは数多く見てきたが、これほどの者は他に知らない。
 主任が『副社長相手にギャンブルするなど無謀だ』と言うだけのことはあるのだ。
 
 ルーファウスは迷わずカードゲームを選び、手持ちの小銭を換金したチップはあっという間に彼の前に山となった。
 これ以上は悪目立ちしすぎる、と切り上げることを促そうとしたとき、見覚えのある顔がフロアに入ってきた。
 以前のボス、コルネオだ。
 咄嗟に人陰に隠れる。
 それを察したルーファウスは、
「もう帰らなきゃ」
と立ち上がって目の前のチップをいい加減にポケットへ突っ込み、その場を去ろうとした。
 だがその性急な動作はルーファウスの一人勝ちを快く思っていなかった者たちに絶好の口実を与えた。
「いかさまだ!」
 いきなり腕を掴まれ、それを振り切った拍子に帽子が落ちた。
「捉まえろ!」
 怒鳴り声は先刻入ってきた男だ。
 咄嗟の判断がつかず立ちすくんだルーファウスの手が引かれる。
「屈んで走れ!」
 その力に引かれるままに駆け出した。
 人波を縫ってどこか分からないドアを抜けた。
「さっさとあの金髪を追いかけろ! 連れてくるんだ」
 背後では怒鳴り声が錯綜している。
 ぐるぐると建物の中を走り回って、路地裏へ出た。
 うろつく人を蹴散らして駆け抜ける。
 の脚は速く、ルーファウスは全力で駆けてもついて行くのがやっとだ。
 たちまち息が上がる。
 こんなふうに走ったことなど初めてだ。
 
 ――楽しい―― 

 わざとこんな状況に持ち込んだわけではないが、自分が無意識に求めていたのはこういう気分だったのかも知れないと、ルーファウスは思う。

 生きていることの、手応えのある実感。
 自分の、他人の生の確かさ。
 神羅ビルの中では現実とデータの境目さえ曖昧だ。
 日々刻々と流れ込んでくる世界の情勢は、全てデータでしかない。
 そのデータを支配することが世界を支配することだと分かってはいても、それは実感を伴っているとは言い難い。
 屋敷と本社ビル、そして時折父に伴われて訪れる式典や会食の場以外をルーファウスは知らない。
 ミッドガルを出たこともなく、そのプレートの上に足を下ろしたことすらない。
 息子の身の安全に対し極度に神経質だった父親の厳命で、ルーファウスの行動は厳しく制限されていたのだ。
 だが――

 路地の奥からドアを抜けて建物に入った。
 ここがどの辺りなのか、ルーファウスには全く分からない。
 だが、にとってはなじみの場所らしく、足取りに迷いはない。
 もう一つドアをくぐると、部屋の中に人影があった。

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