翌日。

 出社するなりルーファウスは社長室に呼びつけられた。
 父は人払いをかけると、いきなりルーファウスを殴りつけた。
「恥を知れ! このクソガキがっ!」
 床に倒れ込んだルーファウスを容赦なく蹴りつける。
「恩を仇で返しおって!」
 あまりにも突然のことで、避けることも逃げることもできなかった。
 もとより逆らうことなど考えられない。
 幼い頃からこういった父の暴力にさらされてきたルーファウスは、ほとんどパニック状態だ。
 ここ数年、ルーファウスが十代になってから父の暴力は幾分治まっていた。
 父が忙しく屋敷でほとんど顔を合わせなくなったせいもあるだろうし、ルーファウスが成長したためでもあったろう。
 だが、今日の父はまるでその数年分を取り戻そうとでもするかのように激しくルーファウスを殴打した。
 身体を丸めて蹴りを避けようとすると、髪を掴まれて床に顔をたたきつけられた。
 飛び散った血で、視野が赤く染まる。
 無意識に顔をかばおうと、腕が上がった。
 無防備になった腹を蹴られ、嘔吐する。
 朝食代わりに取ったわずかのコーヒーに混じって、大量の血が口から溢れた。
 父は何かを怒鳴り続けているが、全く聞き取れない。
 許しを請おうにも、声が出ない。
 吐瀉物と血で汚れた床に顔を押しつけられ、踏みつけられた。
 ルーファウスは、自分を見下ろしている父の影を、うつろな目で見上げる。

 そうか。
 裏帳簿を覗いたことが、ばれたんだ。
 どこで失敗したんだろう。

「ごめんなさ…ぃ…おとうさ…」
 幼い頃のように、謝罪の言葉を口にする。
 そうしなければ、父は決して許してくれなかった。
 いつも泣きながら、『ごめんなさい』を繰り返した。
 だが、許しを請うて差し伸べられたルーファウスの手を、父は無造作に靴底で踏みにじった。
 嫌な音がして、ルーファウスの細い悲鳴が上がる。
 身体を痙攣させ、悲鳴と共に血を吐く。
 それもやがて途絶え、ルーファウスの意識は慈悲深い暗闇に落ちていった。

 
 


 
 社長室へ足を踏み入れたツォンは、馴染んだ臭いに一瞬眉を寄せた。
 神羅本社ビル最上階にはおよそ相応しくない血の臭い。
 完璧な空調をしても拭いきれないそれは、その臭いの元がそこに存在することを示していた。
『まさか社長がこの部屋で何者かを始末したと? その後始末をしろというわけか? それにしてもなぜわざわざここで…』
 訝かしく思いながら部屋の奥へと進んだツォンは、予想を遙かに上回るショッキングな光景に、息を呑んだ。
「ル、ルーファウス様!?」
 床に横たわった姿は、間違いなく副社長のものだった。
 血で汚れた白いスーツ、金の髪。
「いったい、これは」
 駆け寄って、窓際のプレジデントを見上げる。
「死んではおらん」
 その声に滲む酷薄さに、ツォンは心の底が冷える。
 プレジデントはルーファウスを可愛がっているように見えていた。
 皆の反対を押し切って、まだ子供と言っていい年令のルーファウスを副社長に任命したのも、親バカ故だと思われていた。
 たった一人の、血を分けた息子のはずだ。
 金の髪も瞳の色も、その有能さも貴方にそっくりだと誰もが言う。
 これがその息子に対する仕打ちだろうか。

「ここから連れ出せ。ヘリを使って良い。ミッドガル内の病院へは行くな。せがれは事故にあったということにしておく。そのように処理しろ」
「はい…」
 歯切れの悪い返事になったと思う。
 だがプレジデントはそれを咎めるでもなくぼんやりと窓の外を見つめている。

 ツォンは主任に連絡を取り、ヘリの手配と部屋の片付けを要請した。
 全て秘密裏に、の一言でこの一件は闇に葬られる。
「ルーファウス様」
 呼びかけながら抱え上げたが、もちろんなんの反応も返ってはこなかった。

 
 


 
 カームの病院へ運び込み、患者がルーファウス神羅だということには箝口令を敷いた。
 いったい何事があったのかと医者は呆れた様子で聞いてきたが、暴漢に襲われたのだということで通した。
 だが、レントゲン写真を見た医者の言葉は、ツォンを愕然とさせた。
 ルーファウスには、古い骨折の跡が少なくとも十カ所以上あるというのだ。
 スラム育ちのガキではない。
 世界で一番裕福な家に生まれ育った子供だ。
 それがどういうことか、今日のことを思えば容易に想像が付いた。
 
「ルーファウス様…」
 ベッドに横たわった彼の、血の気のない頬にかかる髪をそっとかき上げる。
 包帯の巻かれていない部分も酷い痣に覆われて、怜悧な美貌の影もない。
 大量の吐血は食道内の裂傷のせいで、もう少し外れて大動脈が損傷していたら命はなかったろうと、医者は言っていた。
 右手の指の骨は全部折れている。
 ツォンにはやはりわからない。
 プレジデントは息子が死んでも良いと思っていたのだろうか。
 そうは思えないのだ。
 だから、わからない。
 主任ではなく自分をあの場に呼んだのも、ルーファウス様が自分に懐いていると知っていたからだろう。
 そこまでわかっていて、何気なく思いやることができて、それでなおこの仕打ちはどういう事なのか。
 重いため息をつき、ツォンは報告のために立ち上がって病室を出た。

 
 


 
 意識が戻っても、ルーファウスは一言も口をきかなかった。
 薄く目を見開いて、ただ天井を見上げている。
 医者の問いかけにも答えない。
 
「まだショックから立ち直れないみたいですね。カウンセラーを手配しましょう」
 と医者は言ったが、それは違うだろうとツォンは思う。
 ルーファウスにとって、これは決して初めての経験ではないのだ。
 おそらく彼は、日常的にプレジデントから暴行を受けていた。
 骨折を伴うような怪我も珍しくないほどに。
 それでもそんなことは微塵も感じさせない、伸びやかで真っ直ぐな方だったのだ。
 この方は毅い。
 
 カウンセラーを、という医者の意見は斥ける。
 神羅家の内情など、誰にも話すわけにはいかない。
 そんなことは、ルーファウス様が一番よくわかっている。
 だとしたらカウンセラーなどなんの役にも立たない。
 
 ルーファウスがようやく口を開いたのは、三日後のことだった。

 
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