ぼんやりとかすんだ景色が目に映る。
 記憶の最後にある空ではない。
 見慣れない天井のようだ。
 それに、そこに一人の人影。
 
「ザックス、私がわかるか?」
 問いかけているのは、金髪の男だ。
「…統括…?」
 言いかけた途端、ばしっと頬をはたかれた。
「誰が統括だ。私は社長だ」
 わかるか?と問いかけておいてすぐ、怒って自分から名のるってのはずいぶんじゃないか、とザックスは思う。
 そう思えるくらいには、意識がはっきりしてきた。
「社長…? 何処の?」
 目の前の男は明らかに苛だった。綺麗なブルーアイが険を含んでザックスを睨みつける。
「私を覚えていないのか。おまえの頭は相変わらず空っぽだな」
「あ!」
 ザックスの脳裏を、一人の少年の面影が横切った。
 思わずがばりと上体を起こす。
 明るい金髪、蒼い瞳。
 気づいてみればこの男は確かに彼だ。
「…ルー?」
「思い出したか」
「ルー、だよな? うわあ、顔が伸びたな、おまえ」
 再びザックスの頬がばしっと音を立てた。
「殴るなよ!もう。乱暴なんだからっ」
 頬を押さえて口を尖らすザックスに、ルーファウスはため息をつく。
「無礼者なところも全く変わっていないな」
「そうだよな。5年も経ってるんだから、ルーだって育つよな」
 感慨深げに首をかしげるザックスに、ルーファウスはゆっくり語りかける。
「5年ではない。あれから――ニブルヘイム事件からなら、8年経っている」
「え…?」
 魔晄の碧を湛えた瞳が、大きく見開かれる。
「8年…って、どういうことだよ!?」
「おちつけ。おまえにわかるように、説明してやる」
 ルーファウスはザックスの胸を宥めるように叩き、枕へと押しやった。

 目覚めた場所は、ザックスの記憶にないところだった。
 ミッドガルでない事は確かだ。
 空気に混じる緑の匂いと、微かに聞こえる鳥の声がその証拠だ。
 いつもミッドガルを蔽っていた魔晄炉の排気の臭いもしない。
 部屋はこぢんまりしていて、大きく開いた窓から陽の光が射し込んでいる。
 ザックスは目をしばたたいてあたりを見渡した。

「何処まで記憶がある?」
 いまだに見慣れない大人の顔をした友人が――もっとも友だちと思っていたのは当時でも一方的にザックスだけで、この尊大な男は一部下だと考えていたのだろうという事はわかっていた――真剣な表情で問いかけてくる。
 こんな顔を見た事はなかった。
 かつての彼はいつも取り繕ったような冷笑を浮かべていて、いっそ時折見せる無表情の方がずっと人間らしいと言えるくらいだった。
 だから彼を困らせてみたくて、必要以上にまとわりついていたのかもしれない。
 けれど今の彼は、以前とは別人のようだ。
 微かに感じる薬臭い匂いは、半分は自分からだったが半分は彼からだ。
 以前も色白だったけれど、今の顔色はいささか病的に青白い。
 ソルジャーの鋭敏な聴覚が捉える彼の呼吸音には、不自然な雑音が混じっている。
 よく見れば、自分の胸に置かれた手にも、はっきりわかる傷がある。
 戦場へ出るのが仕事だった自分たちとはちがって、この男は誰よりも手厚く保護されていたはずなのに。
「ルー、あんた、どうしたんだこの手…?」
 手を握って目の前にかざす。
 本当は手の事が聞きたかったわけではない。手以外にも負っているはずの怪我の事が聞きたかった。
 だが、ルーファウスはぱしっとザックスの手を払う。
「順に説明してやると言っている。頭の悪さは死に損なってもいっこうに変わらんな」
「死に損なって…」
 その言葉に、ようやくザックスは記憶を辿る。
 その記憶の、最後は空だ。
 エアリスの事を思い、クラウドの事を思った。
 アンジールに手を引かれた気がした。
「オレ、死んだんじゃなかったのか…?」
「思い出したか。そうだな。まあ、99.6%死んでいたと言っていい」
「なんだよ、その半端な数字」
「ツッコミどころはそこか」
 ルーファウスは笑う。
 ザックスは、その笑顔を眩しいものでも見るような思いで見つめた。
 笑ったら可愛いのに――――と、ずっと思っていた。
 マスコミに向けて振る舞われる笑顔以外に、笑った顔を見た事がなかった。
 なぜだかはわからない。
 けど、カンパニーの御曹司は少しも幸せじゃないんだろう、という事だけは分かってた。
 だとしたら今の彼は幸せなんだろう。
 それは良い事だ。
「おまえの身体は私が秘密裏に回収した。これはタークスも知らなかった事だ」
「なんで…」
「あの頃私とタークスはちょっとした緊張状態にあったのでな。まあ、それはどうでもいい事だ。とにかく、回収したは良いがあまりにも損傷がひどくてそのまま回復というわけにはいかなかった。宝条のいる科学部門に知られるのもまずかったし、とある場所の地下にずっと保管してあったんだ」
「人をものみたいに言うなよ」
「実際もの同然だったのだから、仕方ないだろう。だが、それが幸いだった。ミッドガルがメテオで崩壊した時も、その場所は被害を受けなかったからな」

「メテオ?」
 当然の疑問を、ザックスは口にする。
 ルーファウスは言葉を選びながらその経緯を話して聞かせた。

「エアリスは? エアリスは無事なのか!?」
 話の途中で、これも当然予測されていた疑問が差し挟まれる。

「エアリスは死んだ」
 二人の会話に割って入ったのは、いつの間にか部屋の隅に控えていた黒い服の男だ。
「ウソ、ウソだろっ!?」
 跳ね起きて黒服の襟元を掴み上げた。
 ツォンは目を伏せて顔を外らす。
「おまえに渡すものがある」
「何…?」
「それは後だ。ツォン」
 ルーファウスが割って入る。
「ザックス、落ち着け。エアリスが死んだのはもう3年も前の話だ」
「なんで、なんでエアリスがっ」
「エアリスだけではない。世界中で多くの人が死に、ミッドガルは壊滅したのだ」
「……」
 ザックスは沈黙した。
 エアリスの死の知らせは、確かに自分にとって最悪の悲しみだった。だが、その悲しみが自分だけのものではないと、そう言われて返す言葉は無い。そのくらいには、ザックスは良心的な男だった。
「ザックス……」
 ルーファウスはザックスの正面に立ち、彼を見上げた。
「この事態を引き起こしたのは、神羅カンパニーだ。私はこの出来事の全てに責任がある」
「……ルー」
 あまりに色々な事が頭の中で渦巻き、何も考えられない。
 ただ、静かな決意を湛えたルーファウスの瞳だけが真っ直ぐにザックスを射抜いていた。
「詳しい事はゆっくり説明しよう。幸いな事に、今は時間だけはある。そしてな、ザックス」
 ルーファウスの厳しい表情が少しだけゆるむ。
「クラウドは生きているぞ。ティファと所帯を持って暮らしている」
「ええっ!?」
 最後に見たクラウドの姿を思い出す。
 バスターソードを引き摺って荒野を歩いていた。
「そっか……ティファと……」
 悲しみと喜びがごちゃ混ぜになって、ザックスは笑っていいのか泣いていいのかわからない。
「だから今、私の元には実力のあるソルジャー1stは一人もいない状態だ」
 ルーファウスはぽんっとザックスの肩に手を置いた。
「え?」
「君にはこれからしっかり働いてもらおう」
「えええ?」
「殉職通知は誤報で取り消しだ。君はまだカンパニー社員だよ」
「ちょ、ウソだろうっ!」
「君の回収と回復には相当の費用もかかっている事だしな」
「誰が頼んだっ」
「ほう。では君はあのままモンスターのエサになった方が良かったというのか」
「う……」
「せっかく助かった命だ。大事にして、今後は私のためにがんばってくれたまえ。期待している」
 返す言葉も思いつかず、ただ口をぱくぱくするザックスにくるりと背を向けてルーファウスは部屋を出て行った。


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