数年ぶりに見るその男は、思い出の中の彼とはずいぶんと変わっていた。
 当然だ。
 時を止めてしまった自分やルクレツィアと違って、この男はその月日を重ねてきたのだ。

「頼みというのは他でもない」

 自分が惰眠を貪っていた間に、この男は妻を娶り娘をもうけた。タークス主任として苛烈な日々を送り、最後は娘のために会社を裏切るという形で逃亡した。
 それは決して羨ましいと言えるような年月ではないが、実直に人生と向かい合ってきた男に対峙すると、同年配であったはずなのに自分の方が見掛け通りの若造に感じられる。
 すでに世界と大きく関わってきてしまった今、彼の『頼み』を自分とは関わりのないこととして無視することはできなかった。
 かつて自分は、タークスとしての規を越え、自覚も希薄なままに行動したことによって多くの不幸をもたらしたのだ。
 ディープグラウンドソルジャーによって引き起こされた一連の事件の後、ようやくヴィンセントはそう考えるようになっていた。
 だが―――

「ディープグラウンドへの案内を頼みたい」
 
 思いがけないヴェルドの言葉に、ヴィンセントは目を見開いた。表情に乏しい男としては最大級の驚きの表現である。

「ディープグラウンドの最下層まで降りた者は、他にいない。現時点ではおまえが最適だと思われる」
 淡々と述べるヴェルドは、タークス主任の顔だ。
 ヴェルドが、表舞台から姿を消した後も10人近い元タークスたちを率いて行動していたことは知っている。実際、星痕症候群について調べていた時も、彼らとは連絡を取り合っていた。
 元タークス、という点では同じ立場にあったし、情報を必要と考えているところも一致していた。
 彼らがいまだにルーファウス・神羅に従っているのは謎だったが、それはある時ヴェルドの娘フェリシアから聞かされた話で合点がいった。
 神羅の若社長は、巷で言われていたよりは部下に対して温情のある上司だったようだ。

 だが、ヴェルドの申し出の真意は何処にあるのか―――
 
「目的はなんだ」
「ディープグラウンドに残るデータの抹消」
「証拠の隠滅か、神羅の考えそうなことだ」
 
「それは違う」
 姿を現した青年を見て、不覚にも一瞬たじろいだ。
 以前見かけたときはそれほどとは思わなかったが、この青年は父親によく似ている。
 髪の色、目の色―――そしてなにより、自信に満ち人を惹きつけるそのカリスマ性。

「零番魔晄炉は、神羅の最高機密だ。それ自体も、そこで行われた実験も、もう一度この世に出すことなく完璧に葬らねばならん」

 遙かに年下であるはずの青年に気圧される。
 正面から対峙したのは初めてだ。
 生れながらに人の上に立つことを宿命付けられ、それだけのために育てられ生きてきた青年は、年若くとも王者の風格とでもいうようなものを身につけている。
 それは若い頃の彼の父親ともまたちがったものだった。
 彼もまた、この激動の時代を真剣に生き抜いてきたのだろう。その自信が、彼の言葉に力を与えていた。

「カンパニーのホストコンピュータと連動した施設は、父か私の生体認証でしかアクセスできないものがかなりある。それらを調査して、ディープグラウンドに残るジェノバ計画のデータも宝条の痕跡も全て消し去らねばならない」
 本当にそれだけが目的か―――と訊いても、肯定の返事しか返って来ないだろうことは明らかだった。そしてそれが嘘であろうということも。
 この青年の言うことは、一から十まで信用できない。
 だが、自分がこの要請を断れないであろうこともまた、明らかだった。




 オメガの出現で、神羅本社ビルはほとんど原形を留めないまでに崩壊していた。
 それまではまだ無傷で残っていた中層階も崩れ、ディープグラウンドへ続くエレベータも瓦礫に埋もれてしまった。
 ソルジャーでもタークスでもないルーファウスを連れての行程は、やっかいなものになった。
 ルーファウスはなぜか、いつも彼に張り付いているタークスが付いてくることを拒否し、ヴィンセントだけ伴って行くことを頑強に主張した。
 まだDGソルジャーが完全に排除できたとの確認はできていないと、新旧二人のタークス主任は難色を示したが、ルーファウスは譲らなかった。
 結局はヴィンセントが、しつこく『社長には傷一つ付けずに連れて戻れ』と念を押されることになり、やはりルーファウスは噂通りのワガママ坊やでタークス達は呆れるほど過保護だとうんざりさせられたのだ。

 タークスの心配の理由はすぐに知れた。
 いくらも歩かないうちに、ルーファウスは瓦礫に足を取られて倒れ込んだまま起き上がらなくなったのだ。
 なにをしている、と腕を引いてみればようやく上げた顔は蒼白で、額には脂汗が浮いている。
「悪いな。この脚が…」
 車椅子を使っているのは単なるフェイクではなかったらしい。
「その調子では明日になっても下まで行き着けないぞ」
「大丈夫だ」
 ルーファウスはちらりとヴィンセントを見上げ、瓦礫に縋ってようやく立ち上がった。
 どこが大丈夫か、とヴィンセントは思う。脚は震えているし、息も荒い。いくらやせ我慢をしても、できないことはできないだろう。
 ヴィンセントは黙ってルーファウスを抱え上げた。
「なにを…!」
 驚いてもがく身体を落とさないよう腕に力を込める。
「おとなしくしていろ。下まで降りたら放してやる」
 そう言うと、強ばっていた身体から力が抜けた。抱き上げられることには慣れているのだろう。軽い身体は大した邪魔にならなかった。
 
 ルーファウスを抱えたまま瓦礫の間を飛び降りていく。
 首に廻された腕の細さと押しつけられた髪の微かな香りが、男を抱いていると感じさせない。
 尊大な態度を取り払った彼は高貴の姫君といった風情で、タークス達が傅かんばかりにしているのも納得だった。もっともそんな事を言ったら激怒されそうだったが。

 幸いなことになんの邪魔も入ることなく、最下層の街まで辿り着いた。
 ここもオメガ決戦のせいで荒れ果てている。もともと、住み着いていたDGS達が手入れをするはずもなく荒廃していた建物は、今はほとんどが倒壊していた。
 
「改めて見ると奇妙だな」
 ルーファウスを下ろしながらヴィンセントは呟いた。
「何がだ」
 瓦礫の上に立ち、人の気配もない崩壊した街を見やる神羅の盟主は、さながら冥王のようだ。
 神羅と世界を崩壊に導いた―――否、その運命を世界と共に負わされた最後の王―――
「なぜこんな場所に街があるのか……。研究施設ならば、それなりのものがあればすむだろうに。それに、この街は古い……」
 ルーファウスの向こうに崩れた街を見やりながら、ヴィンセントは呟いた。
「ふん…。今頃気づいたのか」
 言葉は辛辣だが、彼の語調は嘲りを含んだものではなかった。どこか痛みを怺えるような、哀切な響きが感じられる。

「ここは、神羅の祖先が最初に築いた街なのだ」

 ゆっくりと、ルーファウスは歩いて行く。
 うち捨てられた街に、生活の名残りはない。
「神羅の祖は異世界からの渡来者だという話を知っているか」
 ヴィンセントを振り向くことなく、ルーファウスは語りかけた。
「いや……」
「そうか。タークスでも知らぬか。まあ、君は早くにタークスを抜けてしまったからな」
「それはどういうお伽噺だ」
「お伽噺ではない。この街が証拠だ。私もずっと半信半疑ではあったがな」
「この、街?」
「ああ……。神羅の祖は異世界から飛空挺で飛来した。魔晄エネルギーを求めて」
「魔晄…? それはプレジデントが開発したものではないのか」
「魔晄エネルギーの実用化は神羅家の悲願だった。たまたまおやじの代になって成功したに過ぎん」
「そう…なのか」
「私から数えて16代前の先祖だそうだぞ、ここに零番魔晄炉を造ったのは」
「あれはそんな古い時代のものなのか?」
「もちろん、魔晄炉自体は最近になって改築されている。正確に言えば、魔晄炉の原型を造った、という所だ。結局魔晄を制御することはできなかったようだ」
「ではこの街は…」
「魔晄炉を中心に、その開発をするために造られたのだろう。一時は相当数の住民がいたと見える。だが結局開発は上手くいかず、零番魔晄炉は廃棄された。この街も同時に。もともと地下を掘り下げて造られていた街の上に覆いを掛けて再び街を造った。それが今のミッドガルの元の姿だ。おやじは更にまたその上に街を造ったわけだが…」
「なぜそんな面倒なことを」
 ヴィンセントは呆れる。
 街の上に二重に街を重ねる必要が、どこにあったのか。
「それは、この地が豊富な魔晄に恵まれていたことに尽きるな。そもそも、だからこそ零番魔晄炉が造られたのだ」
 言われてみれば当然だ。9基もの魔晄炉があったのはミッドガルだけだった。

「ここへ来たことはなかったのか?」
 あの騒動の折、リーブから『ルーファウスもディープグラウンドについては知らなかったらしい』と聞かされてはいたが、澱みなくこの地について語る彼を前にすると、それも猜わしい気がした。
「無かったな」
 返事は簡潔だった。
「おやじが神羅家の過去について語ることもなかった。それは全て私が自分で調べたことだ。零番魔晄炉はまだ遠いのか」
「そうでもないが、歩くのはきついか?」
「そうだな。隠してもはじまらんか」
 今度はうっすらと笑いながら、ルーファウスは答えた。やせ我慢をすることは完全に放棄したらしい。
 そんなに不自由なら、タークスを連れてくれば良かったのだ―――とヴィンセントは心の中でため息をつく。仕方なく再びルーファウスを抱き上げた。

 瓦礫の間に時折白い骨がのぞく。
 オメガ騒動の時に死んだものか、もっと以前のものかはわからない。だが、この場所には死の臭いが濃かった。
 
 ふふっ―――と腕の中で密やかな笑い声がした。
「何が可笑しい」
「嫌な役を引き受けたと思っているのだろう?」
 俯いていた顔が上げられ、蒼く透き通った瞳と視線が合う。
 権謀術数に生きてきた神羅の最高権力者には不釣り合いなほど、澄んだ青だと思う。
「そうでもない」
 思わず返してしまった声が少し掠れていたことを聞き取られたろうか。
 だがルーファウスはそれには触れず再び目を伏せた。
「なぜタークスを連れてこなかったかと、気になっているのだろう? 私は彼らにここを見せたくなかった。かつて彼らが『ソルジャー候補』として狩り集めてきた人間達がここでどんなめにあったか、知らないわけではない。もちろん彼らだってそれはわかっている。だが、実際にその場を見るのは楽しくあるまい」
 そんな気遣いのために?
 その言はとても鵜呑みにはできない。
 その疑念は、容易に感じ取れたのだろう。ルーファウスはまた笑うと、ヴィンセントの首に廻した腕に軽く力を込めた。
「それに、彼らにここの機密を見せるわけにはいかない。君ならばそれを見ても、利用しようとも第三者に洩らそうとも思わないだろう?」
「タークスを疑うのか?」
「そうだな。あいにく彼らは愛社精神に富みすぎているんだ。それは私が一番よく知っている」
「彼らがデータを利用しようとすると?」
「さあ。それはわからない。だが、いらぬ懸念は持ちたくない。彼らに選択肢を与えることもしたくない。そういうことだ」
 わかったようなわからぬような問答だ。だいたいこの男と会話しようとすること自体が無謀なのだ。秘かにヴィンセントはまたため息を落とす。

「ここが零番魔晄炉跡だ」
 瓦礫をかき分けるようにして辿り着いた場所では、魔晄炉から溢れたライフストリームがぼんやりと辺りを青白く照らしだしていた。
 ルーファウスは無言のまま魔晄炉の制御装置があったと思われる所に向かった。何かを操作していると思うと、たちまち周囲が明るくなった。残された装置が再起動し、パネルに光が踊る。
 ヴィンセントはあの戦いを思い出す。
 ヴァイスの身体を乗っ取って復活を目論んだ宝条。そしてそれを更に利用して生き返ることを望んだヴァイス。
 その果てに発動したオメガ―――
 さまざまな人間のさまざまな思惑が絡み合って、思いがけぬ事態を招いた。
 それには、『何もしなかった』ことで自分も関与していたのだ。

「何をしている?」
 ルーファウスの不穏な動きに気づいてしまった。
「目敏いな。さすがもとタークスと言っておこうか」
「質問に答えろ」
「もちろん、データをコピーしている」
「なんのために!? 全て消去すると言っていたのではないのか」
「必要な部分だけコピーしたらそうするさ」
 ルーファウスは眼を細めて笑った。
「何を考えている! やめろ」
 手を伸ばそうとしたヴィンセントを、ルーファウスは身体で牽制する。
「ここにある全てのものに対して、私には所有権があると思うが?」
「そういう問題か!」
「まあ、そう苛だつな」
 ルーファウスは腕を伸ばしてヴィンセントの頬に触れた。冷たい指。血の通った人の手のはずなのに、作り物めいて体温を感じさせない。
「おまえが心配する必要はない。これをどう使うか―――それを考えるのは『私の仕事』だ。タークスは黙ってそれに従えばいい」
「勝手なことを…! それに私はタークスではない」
「タークスを生きて抜けることは許されない―――おまえも知っているだろう」
「私は一度死んだ人間だ」
「死んだと思われていただけだな」
 ルーファウスはそう言って、声を立てて笑った。何がそんなに可笑しいのか。
「死んだ者は戻らない。戻ってきたなら、それは死んだふりをしていただけということだ。私も、ヴェルドも、宝条も。ジェネシス、そして―――」
 ヴィンセントは目を見開く。
 ジェネシス?
 その男についてはよく知らない。
 セフィロスと同じくソルジャー1stであった男。同じようにジェノバ計画によって生み出されたソルジャー。とうに死んだはずだ。
 そして?
 そしての後に続く名前は何なのだ。
 だがルーファウスは口を噤み、その先を続けることはなかった。
「ルーファウス…」
 呼びかけるヴィンセントを無視してルーファウスはパネルに向かう。
 細い指がパネルの上を踊り、それにつれて光が明滅する。やがて全ての光が消えてしまうと、ルーファウスはスロットからカートリッジを引き抜いた。
 今度は幾本かの透き通った棒状のものがパネルの下から現れた。
「それは…!」
「自爆装置―――どうやらまだ起動するようだ」
「どうするつもりだ?」
「ここは記録も設備も抹消する。最初からそう言ったはずだ」
 ヴィンセントの問いかけに、ルーファウスは冷ややかに答えた。その声音は、先ほどまでの親しげなものとはうって変わって、むしろ遠い昔に幾度か聞いただけの彼の父親の声を思い出させた。
 反論することはもちろん、一切の干渉を許さない独裁者の言葉。
 かつて―――神羅カンパニーがまだ拡大の一途を辿っていた頃、ヴィンセントはタークスだった。
 ヴィンセントの父もカンパニーの科学者で、いわば生え抜きの社員だったのだ。
 だからルーファウスの父であるプレジデントと対面することも幾度かあった。まだ若かった彼は、今のルーファウスとよく似ていた。見た目も、中味も。
 いや、その頃のプレジデントはもっと分かりやすい人物だった。その真っ直ぐな理想と力強い行動力を社員達は尊敬していたと言っても間違いではないだろう。
 ルーファウスの方が、ずっと複雑な人格だ。屈折している、とも言える。
 生れながらにカンパニーの跡取りとして育てられたせいでもあるだろう。その重圧と閉塞感は想像するにあまりある。
 パネルの青白い光に照らし出された横顔は、一切の表情を消し去って人形のようだ。
 泥に汚れたこともない白い指がコードを打ち込み、キーを引き抜いて所定の場所に挿し込む。
 一連の動作は滑らかで、迷いもためらいもなかった。
「私と、この零番魔晄炉が、神羅の残した最後のものだ。一つは今ここで、もう一つは私の死と共に消滅する。それが神羅の裔である私の義務だ」
 淡々とその閉ざされた未来を語るルーファウスに、奇妙な同情を覚える。この青年は、いつからそんな考えに取り憑かれていたのだろう。到底昨日今日のことではないように思われた。ひょっとすると彼は、世界がこんな有り様になるずっと前から、そう考えていたのではないのか―――

「よし」
 ルーファウスが顔を上げると同時に、あたりに警報が響き渡った。
“爆破マデ19分59秒デス”
「戻るぞ」
 当然のように差し出された腕をとり、ヴィンセントはルーファウスを支えてコントロールルームを後にする。

 だが、その時瓦礫の向こうからいくつかの影が飛びだしてきた。
 ルーファウスを抱えていたヴィンセントは、一瞬遅れた。
 2体のDGSを撃ち倒したが、後の1体はモンスターだった。3発の弾丸では倒しきれず、そいつは真っ直ぐに向かってきた。
 咄嗟にルーファウスの身体を突き飛ばし、モンスターの攻撃を避けつつ弾丸を撃ち込んだ。だが、そいつが倒れるより早く、反対側からも攻撃が仕掛けられた。
 離れた位置からの銃撃と共に2体のモンスターが襲いかかる。
 
 ヴィンセントは、状況を甘く見ていたことを後悔した。自分の身を守ることくらいは容易いが、戦闘力のないルーファウスを護りきるのは思ったよりずっと困難な任務だった。
 現に今も彼は瓦礫の陰に隠れて見えない。はたして怪我もなく無事なのか、確認できずにいる。
 焦る気持ちとは裏腹に、ヴィンセントの銃は確実に敵をしとめていった。全てのモンスターが動きを止め銃声が治まると、瓦礫を飛び越えてルーファウスの無事を確かめる。
 だがそこで見た光景は、ヴィンセントを驚愕させた。
 
 そこにいたのは、ルーファウスとDGソルジャーとモンスターだった。
 ヴィンセントが目を疑ったのは、そのDGソルジャーが明らかにモンスターからルーファウスを庇護う形で倒れていたことだ。モンスターはすでに動きを止めていたが、DGソルジャーも血を流して地に伏している。
 ルーファウスはその男の手を取り、顔を覗き込んで言った。
「良くやった。おまえはソルジャーとしての責務を果たした。礼を言う」
 男は微かに何か言ったようだったが、ヴィンセントには聞き取れなかった。
 ルーファウスは血で汚れた男の手を置くとやおら立ち上がり、声を上げた。
「ディープグラウンドに残る全てのソルジャー達に告ぐ。ただちにここより撤退せよ!」
 よく通る声はあたりに響き渡り、それに呼応するようにざわめきが走った。

“爆発マデ11分45秒デス”

 機械音声がカウントダウンを告げる。
「我々も急ごう」
「ああ…」
 今見た光景が、ヴィンセント混乱させていた。
 
 ルーファウスを支えて歩き続けるよりは、抱えて走った方が遙かに早い。そう判断して再び彼を抱き上げた。ルーファウスも当然のようにその身をヴィンセントの腕に預ける。
 ヴィンセントの行動は迅速で淀みなかったが、頭の中の混乱は続いていた。

―――なぜあのDGソルジャーはルーファウスを護ろうとしたのか?

「不審か?」
 腕の中のルーファウスが問うてきた。
「なぜDGソルジャーが私を庇護ったか」
 返事は返さなかったが、ルーファウスは説明を続けた。
「ディープグラウンドに閉じ込められ特殊な進化をしたといっても、彼らも本質的にはソルジャーだ。彼らは主人あるじを忘れてはいない」
「―――主人…」
「そうだ。父と、私と―――その二人だけが、この地―――ミッドガル―――の全てを所有する主人だ」
「…たいした思い上がりだ」
「ふん―――」
 さして面白そうでもなく、ルーファウスは笑った。
「思い上がりですめば、こんな所まで来る必要もなかったのだがな。私のアクセスキーでしか命令できないのは、コンピュータばかりではない」
 ヴィンセントはようやく思い当たる。なんのためにルーファウスはここへ来ると言ったのだったか。
「条件付けされているのか―――? ソルジャーは」
「そうでなければ、こんな兵器は危なくて使えぬな」
「そんな事まで…」
「何をいまさら。神羅カンパニーがどんなことをしていたか、一番よく知っているのはおまえたちだろう」
 その通りだ。
 それについて責任があるのは、社長就任直前まで経営の中枢から遠ざけられていたルーファウスよりもむしろ自分たちだったろう。

“爆発マデ5分15秒デス”

「だが、プレジデントはセフィロスに殺されたのではなかったか」
「あれは―――」
 ルーファウスの声がわずかに揺れる。
「ジェノバだった。セフィロスでは―――ない」
 説明されてみればその通りだった。
 だが―――それならば
「おまえはあの時DGソルジャーの攻撃を止めることが出来たのではないのか? おまえの命令にヤツらが従うというのなら」
 だとすればこの男はただ黙ってあの惨事を見物していただけというのか。
「それほどコトは簡単ではない。ソルジャーはコンピュータとは違う。私の命令が効くのは直接対面している者だけだ。それにあの時の首謀者は実質的には宝条だった。あの男の掛けたロックを解除するには、ここへ来るしかなかったのだ。それを調べるのにも手間どった」
 
“爆発マデ2分10秒デス”

「まあ、私のやることはいつも後手に回っていると―――その非難は甘んじて受けておこう。ところでこの調子で爆発までに無事外へ出られるのか?」
 ルーファウスの疑問ももっともで、帰りの行程はまだ半分も消化されていない。いくら軽いとはいえ大人の男を抱えて瓦礫を登るのは結構な重労働だ。

“爆発マデ1分5秒デス.タダチニ総員退避シテクダサイ”

「ふむ―――仕方ない。扱いが乱暴だと文句を言うなよ」

 言うなりヴィンセントはルーファウスを宙に放り投げた。
 同時にリミットを解放する。
 カオス―――に変身した彼はその翼を羽ばたかせ、落下して行くルーファウスの服を爪に引っかけた。
 そのまま上昇する。
 力強い羽ばたきはほんの数回で地下空洞を抜け、神羅ビルの倒壊跡から真っ直ぐ空に向けて飛翔した。
 その姿がかつてのキャノン砲―――シスターレイの上に降りたった時、遙か下方で光が走った。
 光は膨れあがり、神羅ビルの残骸に沿って空へ駆け上る。同時に轟音が大地を裂いて響き渡った。
 吹き上がる爆煙を避けて、ヴィンセント―――カオスは再び空へ飛び立つ。
 



「あーあーあ。 まーったく不器用なヤツなんだぞ、と」
 レノはロッジの入り口で手すりに凭れ、開け放たれたドアの奥をちらりと見やった。横でルードが重々しくうなずく。
 そこでは新旧二人のタークス主任に挟まれたヴィンセントが、サラウンドで説教を食らっていた。
 窓際のベッドにはルーファウスが寝かされている。
 カオスに変身したヴィンセントが連れ帰ったルーファウスは、服は千切れて埃まみれ、擦り傷からは血が滲み、惨澹たる有り様だった。しかも高速で飛び回るカオスに振り回されて意識を失っていた。
 一人きりの女性タークスが、かいがいしく手当をしているが、まだ目を覚ます気配はない。
 ちょっとした酸欠だろう、と言ったら10倍の小言が返ってきた。
 ただでさえ口下手なヴィンセントには、到底太刀打ちできない。
 いつもの仲間達内では、年長ということもあって一目置かれているヴィンセントだが、同輩のヴェルドや『かつて』との但し書きが付くにしても同じタークスであるツォンの前では旗色が悪い。
 そうでなくともルーファウスには『タークスを生きて抜けることは出来ない』と宣言されたばかりだ。
 実際こうやってタークスの制服に囲まれ傍らには神羅社長、というシチュエーションは違和感よりむしろ奇妙な日常感を抱かせて、そのことにヴィンセントはがっくりした。
 タークスは、一般社員や兵士、ソルジャー達などよりずっと会社の中枢部に近く、それ故忠誠心も高い。
 だからこそいまだにルーファウスに従って、看板を下ろした神羅カンパニーの後始末を続けているのだろう。レノあたりは『カンパニーの再建』などと言っているが、ルーファウスにその気がないのはヴィンセントにも見て取れた。
 その判断は正しいと、ヴィンセントも思う。
 そしてそれに従うタークス達の行動にもいちいち合点がいき、これだけの年数が経っても自分がタークスであったことを忘れていないのだと再認識させられたのだった。

 これもまた、刷り込みというヤツなのだろうか―――

「そのくらいにしておいてやれ」
 ため息をつきたい気分で俯いていると、窓際のベッドから助け船が出された。
「社長! お気づきですか。ご気分は?」
 ツォンはベッドに走り寄り、ルーファウスの手を取った。
「問題ない」
 ルーファウスはツォンの方を見ようともせずに言い放つとその手を払った。他のタークス達は平気な顔をしていたが、二人の関係をあからさまに見せつけられたようでヴィンセントはいささか居心地が悪い。
「ご苦労だった、ヴィンセント・ヴァレンタイン。今回の任務は完了だ」
 真っ直ぐに見つめられて、告げられた。今し方まで気を失って伏していた人物とは思えぬほど、はっきりした声音だ。ルーファウスの声は凛として迷いがない。こうして指令される側に立ってみれば、信頼感と安心を感じさせる声だった。
 タークス達が彼の下に集っているのも、単なる惰性や同情ではないと納得できる。
「ああ…」
 ヴィンセントはゆっくりと頷く。
「出来ればこれきりにしてもらいたいものだ」
 ルーファウスはヴィンセントの言葉に瞳を細める。
「できれば、な」
 喉の奥で小さく笑って、この件はこれで終わりだ、というように視線を外らした。
 それを受けてツォンがさりげなく退室を促す。ヴィンセントはツォンと共にロッジを出た。
 表階段ではレノ達が控えていた。
「エッジまで送りましょうか、と。と言うところだけど、あんたには必要なさそうだぞ、と」
 レノはロッドで肩を叩きながら言い、横でルードが頷いた。カオスに変身して戻ってきたことを当てこすられているのだ。
「これは今回の報酬だ」
 ツォンが差し出した封筒は、かなりの厚みがあった。
「そんなものは」
「受け取っておいた方が良いんだぞ、と。そうしないと次は確実にただ働きだぞ、と」
 そう言われると、受け取らないのはバカバカしい。仕事に対する正当な報酬だ。給料をもらっているわけではないのだから、受け取るのが当然だろう。
 そう自分を納得させてヴィンセントは封筒を懐にしまった。
「レノ、エッジへお送りしろ」
 ツォンはそれだけ言ってロッジの中へ消える。
「へーへー」
 気の抜けた返事をして、レノは階段を下りていく。道には、もとは黒塗りだったらしい車が停めてあった。
「ちゃんと走るから心配いらないんだぞ、と」
 ヴィンセントの不安を先取りしてレノが言う。
「整備はしている」
 ルードが付け加えた。
「社長は無駄が嫌いなんだぞ、と。あれで意外とケチなんだぞ、と」
「それは違う、レノ。この方が目立たないからだ」
 なぜかルードが反論した。
 ヴィンセントには、どちらでも良いことだ。
 レノが運転席にルードが助手席に座り、ヴィンセントは後部座席を占領した。見てくれとは違って車の内部はシンプルながら上質の内装で乗り心地は良く、レノの運転も申し分なかった。
 おそらくこの車はルーファウスの送迎にも使われているのだろう。だとすれば『貧相だ』というレノのぼやきも『カモフラージュだ』というルードの言も頷ける。
 レノは社長――ひいては神羅カンパニーに対して、以前同様とは行かないまでもそれに近い地位を望み、ルードは社長の安全を第一に考えている。
 この二人は良いコンビだ。
 漠然とレノとルードを評価している自分に気づいて愕然とする。
 いったいどれだけ彼らに感化されたというのか。
 自分にとって神羅カンパニーもタークスも敵だったのはついこの間のことだ。
 だが、今となってみれば全ての責任をカンパニーに求めることなどできはしないとも、分かっている。
 オメガとカオスを巡る出来事の発端は自分と宝条、ルクレツィアの極めて個人的な確執だ。セフィロスのこともそうだと言っていい。
 これらに対してルーファウスはなんの関係もない。彼のタークス達も。彼らは否応なしに後始末を押しつけられただけだ。
 そこまで考え至って、ようやくヴィンセントはあのDGソルジャー達がルーファウスを新たな盟主として編成されるのは悪いことではないと思った。
 だが、自分自身はあの悪辣な微笑みの似合う姫君の下で働くのは遠慮したいと、これも心の底から思ったのだった。


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